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【写真】「『狭間』という写真はひとつの使命を終えたとはいえるけど…(デジカメWatch)
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【Web写真界隈 第4回 滝口浩史】
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コメント
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>でも撮り続けるしかない、と思っています
さっさとやめれば?とか思ったw
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わかりやすくてインパクトのある写真ですね。
ここでシャッターを押せるということがすごいと思います。
私だと情に流されてシャッター押せないかも。
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第4回にして早くもWeb写真界隈は使命を終えたようなものだ・・・
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趣味が悪いね
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この写真を見て、一瞬目を逸らしてしまった。
ふと、親が死んだ時に私は涙を流すのだろうか、と思った。
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4回もやって、まともな写真家がゼロとはねぇ・・・
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日本語を書いてもらいたいものです。
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2と5以外は写真をやめたほうがいいよ。
「見る目」と「心」のない人間では、良い写真は撮れないから。
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様々な感想や異なる反対意見がある時も
聞くことの出来る耳を持たなければ良い写真は撮れない。
写真をやめるべきは8かもしれない。
聞く耳無くして、写真家の「見る目」と「心」が何になろう?
8はそのことをよく考えるべきだ。
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>5
流さないよ。
>8
人間やめたら
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ふーん、いまどきこんなネタで撮るか?ってかんじ。
親族、身内、友人をたくさん看取ってくると
死に際で演技してるのミエミエだしインパクトないな。
うすっぺらな家族オナニー写真だ。
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>>8に対し>>9の意見はもっともだと思うが>>10や>>11は論外。
人としてアレだなと思う。
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アホがいっぱいだな!!!良い写真だね。
文句言ってる奴、お前らもっと良い写真撮れんのか!!!
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はい
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あ、それと11と一緒にしないで下さい。
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議論を起こすだけでも、写真としての使命は果たしていると思う。ただ自分はこういう写真は撮らないだろうな。
写真を撮るということは社会的「記録」に残すということ。自分の中にだけあればいい「記憶」でとどめておきたい場面もあるはず。
でも写真家であるということはある意味「非情」だなということを荒木さんは言いたかったのかな。荒木さんの陽子さんの亡くなったときの写真は確か力を失った陽子さんの手だったはず。今観ても哀切感が溢れていて涙が出ます。そっちのほうが日本的なのかな。
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ホームページも観ましたが、なんだかまじめな芸術家という感じが伝わってきました。えらぶったところがないからいいじゃないですか。
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十分偉ぶっているんじゃないかな。
「でも撮り続けるしかない、と思っています」ってまるで自分は写真家なのが運命です、
って言っているみたいなものでしょ。
荒木さんは下品な写真が好きだしね。
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『逆に、写真家が映像の世界に行くという世の風潮は、なんかイヤですね。
ぼく自身は映像を作るとき、昔いた場所にもどるような気持でやっています。
写真を経由することで映像の質を高めるという役割を果たすのでなければ、
映像を作る意味はないと思います。』
上記は彼のコメントからの一部だが
彼なりの主義なり考えなのは自由で結構だと思う。
個人的には写真家が映像の世界に行って様々試み
試行錯誤してチャレンジすることは良いんじゃないかと思う。
『意味は無い』なんて思った時に、知らず知らず自分で無意味の壁を作っている
ことがある。
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いや、この写真は単純に“いい”とか“悪い”とか越えてるだろ。
こういう写真を見ると画質やレンズの性能でごちゃごちゃいってるのって、
ホントにバカみたいだなと思うわ。
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理屈抜きに素晴らしい写真だと思う。
写真に限らないが、人に感動を呼び起こすものには
共通したものがある。干からびた感性では
何もわからないだろう。
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『理屈抜きに素晴らしい写真だと思う。』
『干からびた感性では何もわからないだろう』 だけなら誰でも言える。
その干からびていない感性で本当に素晴らしさを感じたなら
何にどう感動したのか伝えることができる表現力が必要だ!
感動を呼び起こす共通した物とは何だ!
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11が一番人間らしいね
それ以外は腐ってる
心が臭いと言葉もクサイ
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写真を良い悪いでしか捉えられないなんて窮屈だな。
感動? それだけが写真の共通点なんてとても言えないよ、俺には、、、伝える?
ただ撮っただけの人間がエラそうだな、、、、
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これを作品として表に出す事は正直疑問を感じる。
良い、悪いの二者択一の問題ではないし、
写真がどうこうという問題でもない。
これを見て感動する事はありえないし、
正の感情も湧かない。
あるとすれば負の感情だろうけど、
果たしてそれが明確な負なのか?
なんとも複雑な心境なのは確かで、
これに対して焦って答えを出す事は避けたいと思った。
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皮肉と嫌悪で自分の心を腐らせてしまったことに気付かない人よ
本当に哀れなのは他人ではないことに気付けば幸い・・・
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ひさしぶりに「愛しのチロ」に目を通しています。やっぱり、荒木さんは陽子さんの顔は撮っていませんでした。ぎっと握りしめた陽子さんのベットから出た手だけが写っている。でもこれだけですべてが表現されている気がします。私はこの写真を見て荒木さんが大変好きになりました。異論反論はあるでしょうが、滝口君はまだここまで時間を積んで来てはいない。彼の写真で子供の写真は好きですね。まだまだ未熟だと思いますが、その未熟さに好感を私は持ちます。おおいに苦しんで自分なりの答えを時間をかけて出して欲しいですね。なんだか偉そうですけど、彼のまじめなところが良いですね。
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感想:
とにかく不安、焦燥感、嫌悪感、そういうネガティブな感情が前に出てくる。
写真は美術じゃないから何を撮っても良いと思うが、見ていたくないと思わせる写真はどうだろう。
俺は真似をしたくないと思う写真だ。もっとのんびり見ていられる写真を撮りたい。
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なんか28の感想は現代音楽聞いた人が、俺は聞き流せるフュージョンがいいなぁ
っていってるみたいだな。
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たしかに重すぎる写真で、目をそらしたくなるのはわかる。
この二枚を組にするのも、写真として上手くて違和感があるね。
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>これを作品として表に出す事は正直疑問を感じる。
私もそう思う。
自分を生んでくれた実の母でもないし何十年も一緒に暮らした妻でもない。
荒木経惟氏はその両方の死に顔を撮っておられるが、それはプロとしての
使命感や自分の人生の区切りとしての別れと理解できなくもない。
しかし、恋人の母親の臨終間近をどうして平気で撮れるのかが解らないし、
それを発表する神経も(私には)理解できない。
そして、それを
>わかりやすくてインパクトのある写真ですね。
と、子供の運動会や飲み会の記念写真みたいに評する奴もどうかと思う。
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この作品を見出して世に送り出したアラ-キ-は、やはり天才の心得か?
天才スエイをしてドグマから解き放たれんとした写真時代の、肉、愛、憎、の連音符が、この滝口氏の作品を通したアラ-キ-の妖と見た。
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道徳的な善し悪しと写真のよしあしは別。それに、死の間際にある人を撮ることが必ずしも不道徳とは限らない。実際、写っている人々の表情からは不快さを俺は感じない。
この写真からは、不道徳なものは何一つ感じないな。
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22さん
「写真を言葉で表現/説明できてしまうようならつまらない」
と私は思います。
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個人的には、写真は写真で語るものであって、
「この2日後にこの世を去った・・・」
なんて注釈付きの写真は好きじゃない・・・
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たしかに、その注釈は冗長だね。
でも、その注釈は内原さんが勝手につけたのであって、
それなしでも、この写真は見た瞬間、胸を締め付けられるような、
こみ上げてくるような、何とも言えないものを感じますよ。
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病気じゃない?
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滝口浩史氏のブログって日の丸構図の写真が多いですね。なんかいかにもカメラのAF使って撮影したっという感じですね。
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34さん
「写真に限らず、音楽も、絵画も、文学も、舞台もその他にもいろいろありますが
やはり言葉や文字で批評すること、論評すること、これらの水準を上げることも
大変重要だと思います。何だか判らないが良い、この良さは言葉に出来ないけど
良いんだ、この程度の水準が結局写真のための何になるだろうか?」
と思います。
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39さんの言うことは一理あるけど、それは望みすぎなきがするな。たしかにクラシックの評論家とかには行間から音が聞こえてくるような文章を書く人がいるけど、ここのコメント欄はそういうのは期待できないわけで。上の方見ても、あからさまな煽りがあるわけだし、素直に感動したって書く人がせいぜいで、多くはケチつけて優越感に浸ってるだけでしょ。
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>「写真を言葉で表現/説明できてしまうようならつまらない」
自分で撮った自分の写真ですら満足に自分の言葉で語ることの出来ないカメラマンが
常套手段として用いる方法ですよこれは。
つまらない写真を撮ったカメラマンが言い訳として利用する典型例の一つ。
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撮影意図や、構図のねらいを説明できることと、結果として写った写真が表現している内容を言葉で語ることは別だと思うけど。前者はできるに越したことはないけど、後者は写真が言葉で尽くされてしまうようでは、つまらないと思うな。自分の写真を自分の言葉で語ると言っても、言葉以上のプラスアルファのない写真なんてね。
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「これは賞が獲れるぞ!」と思って臨終を撮ったんだったら、相当な実力者ですねw
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自分の写真を自分の言葉で語ることは重要だと思うな。
大いに語ってもそれでもなお語り尽くせないプラスアルファがある写真て
良いじゃないですか。
逆に語るだけは一丁前に語る写真家もいますね。理論武装した写真家かな。
しかしそんな場合は、本人が語ったことが全く写真に見当たらない・・・
なんてことが多いですね。
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「生きて!」という誤魔化しきれない感情の娘さんと、「心配しないで」という精一杯の痩せ我慢ともにいる母が、「狭間」の写真にいますよ。
どちらも生きる人の顔です。撮影者が、自分が愛する人と、母を見る目は傍観者ではなく当事者です。
私の場合:義兄の許嫁のオヤジが癌でした。私は頼まれて、結納だなんだかんだという度に出かけていき、その人の写真を撮りました。
その人が結婚式まで多分生きていられないことを私は知っており、心を隠してその人と向き合うのは辛いことでした。結局、やはり結婚式
は間に合わずにその方は癌でなくなり、撮影した写真が見守る中での結婚式が行われました。皆さん「いい表情を撮ってくれて有難う」
と褒めてくれたけど、私にとってはとても辛かった。きちんと人を撮るのは難しいし、とにかく生々しいことですよ。誰にっても。多分。
>つまらない写真を撮ったカメラマンが言い訳として利用する典型例の一つ。
というのは事実だけど、つまらない写真家がつまらない写真の言い訳をする場合と、つまらない評論家がいい写真を
言葉にできなくて言い訳する場合を混同しちゃいけない気がします。
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>「写真を言葉で表現/説明できてしまうようならつまらない」
これは撮る写真家側と観る評論家側の双方に大変都合良い言い訳というか
便利な逃げ道としてずっと使われ続けているフレーズになってしまっている気がします。
音楽や絵画、舞台、映画などは建設的な批評や評論が長年研究され
確立されてきてますが、不思議と写真の場合には
「写真を言葉で表現/説明できてしまうようならつまらない」の
合言葉が簡単に通用してしまうところがある様な気がします。
(勿論、音楽や絵画等の批評が完全だなんてことはないです。)
しかし、例えば優秀な音楽評論家や美術評論家の批評や評論は作品をより良く
深く理解するために参考にもなるし大変有益となることが多いです。
写真も撮った側と観る側(評論家に限らず観る人)双方の建設的な批評、評論が
確立してゆくことで良いものになっていく気がします。
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この掲示板は概ねケチつける事に
楽しみを見出している人が
多いですね。しかし、社会の中の人間関係でも
そうですが、人のやることにケチをつけたからと
いって自分が利口に見えそうですが
利口そうに見えるだけです。それ以上でも
それ以下でもない。
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>利口そうに見えるだけです。
利口そうにも見えないけどな。
>それ以上でもそれ以下でもない。
だから、それ以下ですなw
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CuiCuiよりは緊迫感が強い気がしますね
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彼に賞を獲らせるために、彼を曲がりなりにも写真家と名乗らせるために、
この下品な写真を使わせてあげた嫁はすごい。
残念ながら彼には才能はありません。
本当にありがとうございました。
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アラーキーも結局神話なんですよね。
現実ではないんだよな。
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とりあえず219.124.115.41の粘着振りにはワロタ。
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『アラーキーも結局神話なんですよね。
現実ではないんだよな。』
アラーキーも結局神話になるほどの現実ではないのだよ。
の、方が妥当じゃなぃ?
しかし良いものを良いとして素直に認められないヤカラが
多いのにはガッカリだなぁ。
写真することは一種の情操教育と思っているのですが、
゛写真を読む力の無い人がこの場面にに少ないのは”
いささか残念でたまらない。カメラの王国として。。。
でも本当は感性も十分あるのに文章で旨く表現出来ないとか?
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アラーキーが評価したから凄いんだ、って思っちゃうヤカラが多いのが問題じゃね?
ヒロミックスしかり。
最近の荒木さんは現実として写真がダメだと自分は感じる。
伝説とか神話のなかでしか生きていないということを言いたかった。
世間にどういう評価をされていようとね。
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>53
今回の場合、写真を読む力でどこがどう良いのか説明してくれないか?
自分の場合は撮った後の行動に人間のいやらしさが感じ取れて胸糞悪い。
人に見せた瞬間に全てが嘘に写る。
何で見て欲しかったの?
だれの気持ち?
見せた反応は?
撮るのはお好きに。
写真は人に見せる必要は無い。
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>>55
うわ、全てのプロ写真家の存在を否定しちゃってるよw
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ここで「写真」の話をするのは不毛、意味無し。デジカメの話だけしてて下さい、おまいら。
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>57
ナンセンス
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>ナンセンス
いやぁ、ナウイ言葉ですね。久しぶりに見たw
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いやぁ、ナウイ言葉ですね。久しぶりに見たw
あははははははっ!渾身の力作だな 可笑しいわw
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あまり本文は読んでいないんだけど、つまり写真だけ見て、まあ、
写っている人が、発表されても良いと思っているなら、構わないのでは。
たぶん、死ぬ事も生きる事も、第三者から見れば別にどうって事無いのでは。
当事者にとっても、ある一定年齢に達していれば、皆いずれ死ぬわけだから、
ごく普通の事でしょ。
あまりに若年で、道半ばにという場合なら、悲しむべき事なんだろうけど。
写真誌など見ていれば、例の桐箱の蓋を開けた状態の写真が載っている場合も
まれにはある。 ここへ来る人たちは写真誌など見てない人が多いんだろうけど。
しかし、4作目になって、そのサイトの存在意義が少し分かった気もする。
3作目みたいに、ゴミ箱の中を見せられるような写真は見たくも無いが、
今回のはそんな事ない。 写真として悪くないと思う。
ただし、そういう写真を発表すること自体、必ずしも賛同しない。否定もしないが。
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家族の死をネタにしちゃいけない、というなら
葬式なんかやっちゃいけないよね。
日常的に起こり、誰も逃れられない「死」を
取り上げることが非難の対象になりえる?
写真がほかの芸術と大きく異なるのは「現実」を切り取ることに
あると思う。
ドラマのように、家族の死を何年も振り切ることができずに泣きくれている
家なんかそうそうありはしない。
人間はもっとタフだ。
そうでないと思うなら、それは自分が弱いだけだ。
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コレだけスレが伸びてる事実を認識せよ
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芸術にはルールがある。
スポーツや言葉と同じ。
だから美しいのだ。
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写真にもいろいろある。
例えばフィクションにノンフィクション
多くの捏造写真もある。
一見綺麗で美しい表をした写真も
嘘八百で塗り固めた裏があることも多い。
ルールの有無は別として
ルールは守る奴もいれば、破る奴もいる、その程度でしかない。
そんなものを皆ひっくるめて写真がある。
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芸術のルールって何だ という話のようですね
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トップの写真(狭間)を見て、いくつか頭に思い浮かんだことを記してみます。
作家のH・G・ウェルズだったと記憶しますが、死の床を取り囲んでいる友人たちにむかい、 「ちょっとひとりにしてもらえないか。今ぼくは死ぬのに忙しいんだ」 と言ったのが臨終のことばだったとか。
おそらく自分の場合も、ウェルズと同じく、死にぎわの姿はあまり人に見られたくない方だろうと感じています。仮にカメラを向けられたとしても、おそらく、この写真に写っている母親のような表情で笑うことは、自分にはできないだろうなと思いました。
その一方で、この写真に写った人たちの表情には、カメラマンとの間に、ある種の信頼関係や気持ちの交流が見てとれるように思います。
(写真を撮りながら、なにか笑いをさそうようなことばでも掛けたのでしょうか)
いずれにしても、人柄の良くない人物がいくらカメラを振り回したところで、こういう表情は撮れないのではないでしょうか。
母親の表情は、どこか 「娘のことをよろしくお願いします」 と訴えているようにも見えますが、それにしても、見る側がなにかしら考えさせられる写真であることは確かです。
ロバート・キャパが戦場で負傷した兵士を撮影していたとき、カメラを向けた兵士から 「どういうつもりだ!」 と罵倒され、自己嫌悪に陥ったというのは有名な話です。
人の生死に関わるような現場や、なにか厳粛なことが執り行われているような場面では、カメラという道具は、ともすると人々から強烈な拒絶反応をひきおこすような面があります。
おそらく、こういった臨終の写真に対し賛否が割れるのも、タブー(禁忌)やヒューマニズム(人道)といったものに対する考え方や感じ方が、個人個人で違っているからでしょうね。
上の方の発言でも陽子さんの話が出ていますが、荒木経惟さんが妻の陽子さんの死の前後を撮った、 「センチメンタルな旅・冬の旅」 は良く知られた写真集ですが、この本が出たころ、たしか篠山紀信さんが荒木さんを批判したことがありました。
(情に流され過ぎているとか、自分の置かれた状況を写真に利用しているとか・・・)
篠山さんの荒木批判のニュアンスも、だいたい、ここで発言されていることと似ていたように記憶します。
「篠山さん、荒木さんに嫉妬しているのかなぁ・・・」。当時、そう感じたことを覚えています。
しかし、荒木さんが陽子さんを撮った写真の場合、ふたりの婚前旅行を撮影し自費出版した初めての写真集、 「センチメンタルな旅」 の当時から、私小説ならぬ私写真を撮る作家だったことを考えると、その後の 「わが愛、陽子」 をふくめた一連の私写真の流れからすれば、 「センチメンタルな旅・冬の旅」 がああいった感傷的(センチメンタル)なかたちで締めくくられたのは、むしろ当然だったのではないかという気がしています。
ここでの私写真というのは、私という写真家と陽子という女性との濃密な関係を、写真を通して(私小説のように)1人称で語るというような手法のことです。
話を戻すと、この写真(狭間)を見て私が最初に思い浮かんだのは、そういった私写真や荒木さんの写真のことでした。
それだけに、下の記事を読んで選者が荒木経惟だと知ったときには、 「やっぱり、そうか」 というふうにも思いました。
私は、自分の置かれた状況を利用して写真を撮ってはいけないというふうに、枠をはめる必要はないだろうと考えています。
とくに、この母娘はきれいな人たちですし、こういった被写体にめぐり会えたのも、このカメラマンの何かのご縁ということでしょう。
ある種の、タブーや暗黙のルールみたいなものを、恐れていない点も良いと思います。
私としては、素直に、というよりも、これはこれで、いいんじゃないかなぁ・・・と思いました。
好きな写真か尋ねられると、困りますが・・・
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人間の死や苦悩、時には苦痛に耐える動物達も被写体にされる
美談や涙も織り交ぜて、感動仕立てに仕上げられる
カメラマンとその写真は大きな賞賛を受けることがある・・・
しかし、死や苦悩、苦痛が題材にされた“ヤラセ写真”は数多い
見る者に大きな衝撃を与えるだけに利用されやすい
ヤラセの目的、意図も様々だ、政治利用、個人的名誉・・・
巧妙に作られたヤラセ写真は見破るのが難しい
しかし永い年月が経過した後に
その真贋が明らかになることが今でもしばしば起きている
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この写真が撮られた時、これは家族の写真だったわけですよね。娘さんとお母さんが
この時どんな会話を交わしたかはわからないけれど、すでに表情が乏しくなっているように
見えるお母さんも、右の写真ではかすかに微笑んでいる。赤の他人ではなく、カメラを握って
いるのが「娘の恋人」だから、お母さんも微笑むことができたのでしょう。普通の家族が記念
撮影をするのは幸せな時が多いわけですが、たとえ嘘でも死にゆく人とそれを看取る人の間に
心が和む時間を作るため、この記念撮影は役にたったのではないでしょうか。カメラを向けら
れて「演技」しない人はいないし、誰だって死ぬ人間には嘘ばかりつくものだけど、こういう
写真を見るのがツライのは、これがやらせだからではなく現実だからであり、現実はツライ
ものだからだと思います。これを撮った時に滝口さんが公表することを考えていたかどうかは
知りませんが、できあがった写真を見て、ツライ写真だけれども何か大事なものが写っている
ように感じられた時、それが母を失った恋人や自分だけでなく、多くの人の心を満たす栄養素
のように感じられたとしたら、公表しようと思っても、不思議はないように思います。
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写真の上っ面しか見えないと平和でいいのかもしれません。
この写真の裏側を覗こうとすれば、これは「しんどい写真」ですからね。
私が感じた正直な思いですが、写真の彼女(娘)の表情に嘘が感じられ「嫌な写真」これが第一印象です。
そして徐々にこの写真を世間一般披露したことによる、女の計算(世間のほとんどの男には見えないし知らない)が見え隠れする「しんどい写真」に見えてきました。
これ以上に言いたい事はありますが・・・その二点の印象だけでも十分です。
私は中途半端に「これはこれで、いいんじゃないかなぁ」なんて大人のような顔はしません。
この写真を見せられたら「こんな写真を私に見せるな」と本人に言うでしょうね。
見せる側も見る側も覚悟が必要な「しんどい写真」で、見せる側の責任が大きい写真です。
家族の中にしまっておくなら何も言いません。
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駆け出しのカメラマンが一夜にして名声を得る方法
ヤラセ写真
まだ無名の駆け出しカメラマンだったキャパを世界のキャパにした
崩れる兵士の写真も慎重な検証の結果、近年ヤラセ写真であった可能性があると
判りはじめてきました。(詳しくは各文献資料を参考にして下さい。)
この例は、報道とヤラセ写真の一例ですが
写真とは何か?カメラマンの倫理や道徳とは何か?を考えさせられます。
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本物の写真は倫理、道徳の超えたところにあるのではないだろうか?
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プロカメラマンとしての職業倫理。
キャパは生涯あの崩れる兵士の写真で苦悩することになった。
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職業倫理?
そんなものの定義などどこにもない、、、、、、
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>74
>本物の写真は倫理、道徳の超えたところにあるのではないだろうか?
あなたの考える、倫理と道徳を超えたところにある“本物の写真”
というものがどういうことなのか真意を伺いたい。
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>utsunoさん
「みんなどうしてそれが見抜けないんだ!」と思うことってありますよねえ。utsunoさんと
私は意見が合いませんが、論理的な議論ならともかく、我々は個人的な印象を述べあっている
にすぎませんから、意見が一致しなくても不思議はありません。でも「自分は正しく、あなたは
間違っている」と主張するためには、まず言葉によってそれを証明しなくてはなりません。
「自分は違う印象をもった」と言うことはできても、個人的な印象を語ることで相手の印象を
否定することはできないわけです。「写真の上っ面しか見えないと平和でいい」というのが
「バカは気楽でいい」という意味だとすると、これも証明が必要な類の発言ということになる
と思います。どなたにあてたものにせよ、一言理由を添えられた方がよいのでは。
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>へたくそ さん
すみません。70は多重投稿の削除中に誤って削除した発言を、
改めて投稿したものですが、ブラウザに私の名前が残っていたため
当初、投稿者名が私になっていました。
オリジナルの投稿は、(220.213.72.246)のアドレスからでした。
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「utsunoさんて誰だったかなあ、どういう書きこみをする人か、なぜか思い出せないけど、
論争好きというより、穏和な人というイメージがあるんだよなあ...」と思ってたら、
「!」
店主さんじゃありませんか! 失礼しました~ m(_ _)m
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「みんなどうしてそれが見抜けないんだ!」とか「自分は正しく、あなたは間違っている」や「バカは気楽でいい」もあなたの中の自分では無いと思いたい心ですね。
嘘の上に平和が成り立つ世界にどっぷり漬かった人達と、混乱しても嘘がいらない孤独な世界が心地良い人とのスタンスの違いです。
そんな「きもちわるい」世界を欲深いイヤラシイ顔で「どうですか?」って一方的に見せられるのはウンザリなので、70に書いた通りだし、写真て写真だ。
一方的だろうが、これ以上は言葉で話す意味は無い。
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この状況では、撮影という行為も、余命わずかな義母を穏やかな
雰囲気で包んでやるための小道具に過ぎなかったのかもしれません。
このとき作者には、病人が最後まで明るく穏やかな状況下にいた
ことを示す記録を残す、という使命があったはずです。
その使命から言えば、左の写真は明らかにミスショットです。
見る側の要求にこたえる写真はあくまで右の明るい表情だったはず。
それでも、左のカットのような写真が紛れ込んでしまうのは、
それもまた「現実」だからです。
作者の意図は、単に入院生活の虚飾と現実と対比させるだけでなく、
撮影という行為の虚飾と現実すらも対比させているところにあります。
撮影者が「写したかったもの」と「写したくなかったもの」。
それをスナップの中から見出した所に、この作品の価値があります。
それと、べつにこの写真は報道写真じゃないので、ヤラセがどうとかは
問題外かと。
わざわざ代々木からパケット通信使ってまで、ご苦労様とは思うけど。
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>79さん
私の書きこみを引用されているところを見ると、私宛のレスなのだろうと思いますが、
「自分では無いと思いたい心ですね」というのはどういう意味でしょう? 76は
当初utsunoさんの名前がついていた70の書きこみが私宛のものなのかもと思った
から書いたレスなわけですが、そのことじゃないでしょうし...?
「嘘の上に平和が成り立つ世界に・・・」はわかりやすい表現だけれど、
「混乱しても嘘がいらない・・・」というのはいまひとつよくわかりません。
現実に混乱している人が、どうして滝口さんの写真を嘘と断定できるのでしょう。
「孤独な世界が心地良い」というのも、なんだかちょっと、あれですし...
あなたが言葉で説明するつもりがないなら、私も今後はスルーすることにしますが、
私はあなたと私のどちらの解釈が正しいかを問題にしたわけではありません。
相手の非を証明する前に、自分が正しく、相手が間違っていることを前提とした
話し方をするべきではない、というごく単純な話をしたのです。
それがおわかりにならないなら... 一人で好きなだけ混乱してください。
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「これもまた現実」とか「これこそこの写真の価値」の様なコメントを読んで
再び写真に戻ってもう一度観なおしてみた。
どれも後からとって付けた言い訳であるかの様にみえた。
肝心な写真の方にそれらが写っていると思えなかった。
見方は自由で色々だから、この写真が好きな人達もいれば
感動して価値を見出す人達もいるだろう。大いに結構。
同じ写真を観てそれとは逆の印象を受ける人達がいるのも
全く自然なことではないだろうか。
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>>77
70の発言が、管理人の utsunoさんのものではなくて、安心しました。(^^;
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70に対する反論は、へたくそさんが上手にまとめてくれているので、私にはあまり言うことがありませんが、いくつか気のついた点を書いておくことにします。
たとえば、 「この撮影の5日後に母親は無事退院し、現在はもとどおり元気に生活している」 という説明が写真に加えてあったとしたら、各人の写真の見方はどう変わるでしょうか?
写真だけを純粋に眺めてみた場合、 「狭間」 という2枚の写真に写っているのは、ただの二人の表情の変化だけです。
おそらく写真を見る人の多くは、 「母親の病気が治って良かったな・・・」 というふうに思うだけではないでしょうか。
問題は、そういうふうに写真に添えられた文章によって、同じ写真でも、見る側の感じ方が変わってしまうという点に、映像の恐さがあるわけです。
写真を見て自分が感じたと思った印象が、本当に写真だけ見てそう感じたのか、それとも写真の説明を読んでそう感じたのか、きちんと切り分けて考える必要があると思います。
「危篤の病床にある母と娘の、最後の別れの光景・・・」
「2日後に母親はこの世を去り・・・」
こういった刺激的な一文にひきずられて写真をながめるのは、写真の読み方を誤る原因にもなるだろうと思います。
> 写真の彼女(娘)の表情に嘘が感じられ「嫌な写真」これが第一印象です。
私の考えは、娘さん(や母親)の表情には嘘はなくて、むしろ彼女の姿を嘘っぽく見せているのは、何もなさそうな方向を見ている横向きの不自然なポーズや視線、そういったものに原因があるのではないかというふうにニラんでいます。
ひとことで言えば、(握りしめた手とか)さまざまなものが画面へきれいに収まりすぎている点が、逆にこの写真を不自然なものに見せているわけです。
しかし一方では、私はそこがこの写真のおもしろいところだというふうにも思っています。
この写真が 「何かをたくらんでいた」 とすれば、それはやはり、 「とにかく笑っている写真を撮りたかった」 、その一点に尽きるのではないかと想像しているからです。
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>こがらしさん
わたしもあなたの意見の様に文章は影響を与えると思います
文章だけでなく、Web掲載の場合と、ギャラリーに展示されている場合を
想像してみた場合、また異なった印象なり影響を受けるのではないかと思います。
写真に影響を与える要素を挙げたら本当にたくさんあると思います。
例えばもしもあなたが作者と親しかったならば
これもまた見方や考え方に大きく影響するでしょう。
写真鑑賞の方法は人それぞれです、そこに文章が有ろうが無かろうが
かなり刺激的な文であったとしても、思うところや個々の感じ方は
みんな自由ではないでしょうか。
強制されるものではないですよね。
あなたの写真の読み方があなたにとっては正解でも、それは必ずしも
他の人のためのものではないので、賛否両論、他の写真の場合と同じですよ。
万人が挙って肯定するとか、否定するものじゃないですから。
この写真が好きな人は好きだと自由に言えて
別の写真の方が好きな人もまた別の写真の方が好きだと自由に言えて
感じ方も各々自由なのが自然で丁度良いのではと思います。
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>84
>私の考えは、娘さん(や母親)の表情には嘘はなくて、………写真を不自然なものに見せているわけです。
このニラんでる事が「写真の上っ面しか見えないと平和」って言ってるんじゃないの。
「嘘の上に平和が成り立つ世界にどっぷり漬かった人達」側とは真逆な価値観側の人に何がしたいのやら?
「自分が正しく、相手が間違っていることを前提とした話し方をするべきではない」ってあなた達がやっている事に見えますね。
真逆な価値観があったら嫌なだけじゃないの?…
『狭間』という写真をダメと言う人の方が世間からバッシングくらうでしょ?褒める方が楽なんだよね。だから嘘クサ〜い
どっちみち話噛み合ってないし薄っぺらいので、結局>82がまとめでいいんじゃないの。
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感じ方はいろいろだから、どっちでも良いのだけれど、
さも正しそうに主張するのはなぜなんだろう?
どこの誰だかわからない、権威も信頼も立場もないのなら
ひっそりと、そう思っているか
せめて、「私はすきじゃないです」でいいと思う。
わたしは・・・
悲しい事を思い出しました。
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>>85
たしかに、写真の鑑賞方法は人それぞれです。
しかし、だからといって自分と違う写真の見方をする人たちに対し、 「写真の上っ面しか見えないと平和でいい」 などという言うのは、そうした自由な鑑賞に反する言い方です。
「写真の上っ面しか見えない」 というふうに他人を批判し、なおかつ自分は 「写真の裏側を覗くことができる」 と主張するのであれば、少なくとも、自分がどういうふうにして写真の裏側を覗くことができるのか、その根拠なり理由なり能力なりを示すことが必要でしょう。
それができなければ、上の発言はたんなる放言ということになります。
84の発言は、当人がそのあたりをどういう根拠で言っているのか、こちらで推察してみたということです。
「写真の上っ面しか見えないと平和でいい」 と言った本人が、はたして本当に上っ面だけで写真を見ていないかどうか、ちょっと確かめてみたかったからです。(私は平和な人間ではありませんので)
以上、へたくそさんが76と81で発言している内容と、ほとんど重複してますね。(^^;
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昨日「狭間」をモニターで鑑賞していたら、
突然嫁が背後から「なにこの女?」と聞いてきました。
聞き方に棘があったので「嫌な写真と思わん?」と心にもないことを聞き返してみました。
嫁「わかるん?」
私「…表情が嘘くさい」
嫁「ほぅ………あんたの考えやないな」
ちょっと怖かったので、なにげに70を見せる。
嫁「ふ〜ん…これ女の意見やな」
私「わかるん?」
嫁「大概女ならな。けどこの女ルール違反やわ」
私「なにそれ?」
嫁「女の暗黙のルール破ってるわ。これ書いたの男やろうし」
私「!!」
嫁「ま、えぇけど。あんたも騙されんようにな」
私「………」
私には「狭間」云々よりも「女の暗黙のルール」の方が気になってしょうがない。
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この組写真の芸術性を支えているのは、古今東西の多くの作品同様、意志であり、特に組写真ということで作為も強く感じられるのですが、その軸が写真という媒体にあるなあとうのが感想です。
言い方を換えればカメラが介在することで、よそいきになるといううこと。
また、意志の起点が撮影者ではなく被写体にあるということが選者を引きつけたのではないかとおもいます。
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今日初めてこのスレッドの元記事読んで、スレッドも読んだのですが‥‥。
私はこの二枚組の写真見た瞬間、どうして二枚並んでいるのか判りませんでした。
ジーッと見ていて、やっと間違い探しに成功したと──(大汗)。
『その2日後に母親はこの世を去り』を読んでやっと、
『ああ、そういうネター』と判り、そして『あ、そ』と思いました。
もし、この写真に対して文章部分が影響を与えたとしたら、
それはこの写真が、娘さんの方の依頼で、その未来の旦那さんが撮ったという下りですね。
但しその時生じた感想は、『ああ、そうか、最後の幸せな写真がどうしても欲しかったのか』
と言うもので、『娘さん良かったね』とは本気で思いましたが、
いずれにせよ、別に写真に対する感想は変わりませんでした。
つーか『その2日後に母親はこの世を去り』を読んで、
選者が自分の感性を宣伝したかったんだ──位しか、思わない‥‥。
この写真から、生命維持の為に着いているパイプを外してみて欲しい。
そうしたらこの写真のインパクトは、1/3以下になっていただろう。
しかも意味不明の写真。
このお母さんは重篤な状態で、故にチューブを付けていたから、
賞を取れる程のインパクトになった
(別に重篤でなくっても、チューブさえ着いてれば、効果覿面ですけどね)。
多分この写真が賞を取ったのは、所詮その幸運に過ぎなかったんではないかと。
このチューブが無ければ、この写真はキャプション頼りの頼り無い写真になっていた筈。
でもまあ、写真なんて所詮そんな程度のものであって、
わざわざ出来の悪い写真から絵にしなくても賞を取る写真になったのは、
チューブのお蔭だった、それでまあ、別に構わないんじゃないかなと‥‥。
因みに個人的にはキャプションも写真の一部だと思うので、
別にキャプションが無かったらインパクトが弱かろうと、
無くってもインパクトが強かろうと、どうでもいいんじゃ無いですかね?
必要なキャプションを付けなかったら、
それはその写真家のセンスか努力か作品売り込みに対する誠実さが足りてなかったってことで、
キャプションを付けたんだったら、それはその写真家の実力でしょう。
タイトルやキャプションを付けるのは、撮影者の作家としての権利なんだから
(勿論、キャプション無しで耐える写真の方が、
写真そのものとしての完全性に対する評価は高いでしょうが)。
キャプション無しの状態で選者がこの写真を選んだんだとしたら、
その選者は、自分の眼力を褒めたかったら褒めてもいいんじゃないかと。
もし私が選者だったら、キャプションがあったら、
他の選者に強力にこの写真を勧められた結果として、
『じゃー、最終選考に残してもいいんじゃない?』位は思ったかもしんない。
キャプションが無かったら、確実に『えーっ?』と、抵抗します。
まあ、撮影の事情知らなかったら、
『よくもまあ、こんな写真撮らせて貰う勇気あるな』と思ったでしょうけど、
写真の出来の評価とは別の次元の問題ですよね──。
なんてなことを思ったのでした。
このスレッドの中の各々の方のご意見につきましては、
一番酷い書き方の書き込みも含めて、それぞれそう思うことに不思議は無いし、
各々の方々の頭の中で、充分な説得力のあるご意見だったんじゃ無いですかねと思います。
このデジカメジンの各スレッドの中でも、一番素直に、各人が思った意見が書かれたスレッドだったんだなーと、今頃読んでいて思ったのでしたm(_ _)m。
あでも確かに、70の書き込みは、核心がぼかしてあるところが、
ネタっぽい気もする──(大汗)。
89番さんの嫁さんさんのご意見も判る。
そんで、
>私には「狭間」云々よりも「女の暗黙のルール」の方が気になってしょうがない。
これも(^-^;)>゛゛゛゛゛。
>この写真を見せられたら「こんな写真を私に見せるな」と本人に言うでしょうね。
そうそうこれに関して。
上にも間接的に触れていますが、個人的な予想としては、
ここは70さんと意見違うな。
ここでの『女の計算』とやらは、
『私はお母ちゃんの傍に最後に居られて、幸せだったよ』と見せびらかすことであって、
そのことが恥ずかしいと思うんだったら、そもそもこんな写真を撮る様に、
未来の夫には頼まないと思う──。
いや勿論、私は被写体になられた方ご本人ではないので、
当たっているのか外れているのか、全く自信はございませぬ。
でもやっぱり、『最後にこの写真が撮れて、良かったね』という私の気持ちは、
変わらないな~。
笑ってあげて見せることに成功したお母さんにも、良かったねと言いたい。
なる程、右の一枚だけあれば、いいや、この写真。
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香織さんの書き込みをみて人間って残酷なんだなあと思いました。
倫理や道徳を超えた存在だと思います。彼は、、、、
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あぁどうしよぅ…ムズムズするから書いちゃいます。
香織淳士さんはじめまして。
うちの嫁さんにさっき『女の計算』の部分について
>『私はお母ちゃんの傍に最後に居られて、幸せだったよ』と見せびらかすことであって、
を見せたところ、「やっぱ男ってこう解約してくれるんやな…」ときてから
嫁「…!」
私「エ?」
嫁「…!!」
私「エェ?!」
「…!!!」
私「あぅ?あぅ?」
怒濤の攻撃…とても嫁から聞いた言葉をそのまま書けません(ゴメンナサイ)
最初は嫁が写真の彼女に嫉妬してるのかと思いました…
おかげで30分以上ケンカ腰での会話です。
よくよく考えれば嫁が嫉妬する理由が無いのですが…
嫁の言葉は文章に書けませんが、写真の娘さんの眼の輝きでしょうか…嫁が必死に訴えていた部分は。
なんかひとつの作品でこれだけ濃い話なんて生まれて初めての経験です。
>この写真を見せられたら「こんな写真を私に見せるな」と本人に言うでしょうね。
実は私は納得していないんですが、そんな思考回路してたら私でも↑と言うかも。
明日から家族サービス・デーなんですがねぇ…
勇気のある方は身近な心の許せる女性に聞いてみてはいかがでしょう
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上に書いたことはうちの嫁の場合ですので、気を悪くされましたらごめんなさい。
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>香織さんの書き込みをみて人間って残酷なんだなあと思いました。
>倫理や道徳を超えた存在だと思います。彼は、、、、
こういう意見、来ると思いました。
でも、私がこの写真そのものからは、何の感銘も受けなかったっていうだけのことだと、
気付かない?
見て判らないなら、撮影者が伝えることに失敗しただけのことでんがな。
勿論、『鈍いから判らねーだけだ』という意見があったとしたら、
私もそれには賛成ですが(-_-:)。
ところで状況に対して、
『ここは同情しなければならない』という92の感覚が、
私にはとても形式的な悲しみにしか思えないということは明記しておきましょう。
さらに書いている内容から、噂板で個人攻撃荒らしをやっていた人間か、
その同類と写る。
と言うことは、あなたは人の死を、
個人攻撃の道具としか思わない人間だと推察出来ます(厭な話ですね)。
そもそも私は写真についてのことを書いているだけで、
その内容はこのご家族に取っての最後の数日間に対する感想とは全く関係ありません。
逆に言うと、身内の死を切り売りする写真に対する感想は、
寧ろ非同情的になり易いというのはありますけれどもね。
それはさておき、93さん有り難うございますm(_ _)m゛゛゛。
しかし、肝心な部分が自粛されていて読めなかったので、残念‥‥。
まあ、写っている娘さんの左の方がちょっとわざとらしく見えるとか、
私ですら自粛気味で敢えて触れなかったので、
その辺なのかなーとか(右側が作り笑いに見えることよりも、
左側が作って見えると書く方が、個人的に写っている方の名誉の為に避けたく思える)、
右の写真の笑顔が陶酔的に見えるとか、そういう部分なんでしょうか?
でも、それだと『嫉妬』という表現が93さんの書き込みに出てくる理由が‥‥。
まあでもやっぱり、『倫理や道徳を超えた存在』とやらな私でも、
右の写真のお母さんの、病身と関わり無く(無理はしたかもしれませんが)、
家族の為に遺せた笑顔は、何物にも代え難いなーとちょっぴり感動してしまうのでした。
左側の写真のせいで、笑ってるの中々判りませんでしたが
(笑ってると言うことを判ってみると、結構印象が違ってきますな)。
やっぱり業況が判ってから改めて見ると、写真の印象も変わってきますね。
状況が許しさえすれば、チューブ外して状況説明はキャプションに譲った方が、
個人的には好きだな‥‥。
最後の笑顔なんだから、お母さんも家族が後から見た時、
心配しないで済む写真を遺したかったんではないかと思ってしまいまして。
今思ったんだけど、写ってる娘さんの妙に輝いてる笑顔、
撮影者との結婚とか、
将来のことに対する前向きなお話の中で出てきたんじゃないの──(のの)?
どんな悲観的な状況でも、一瞬の華やぐ時っていうのは、あると思うんですが‥‥。
確かに愛する男にだけ見せる輝いた表情と取って、
撮影者との緊密性を写真から読み取ろうとすることも可能なんでしょうが‥‥。
いやまあ取り敢えず、
93さんのサービスデイが、前日の喧々諤々を忘れた、
思い出に残る一日になる様祈っておりますm(_ _)m゛゛゛゛゛゛゛。
こんな写真(但し右側のみ)見た後では、そう望まずに折られません(^-^;)>。
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普通に読んで思った感想。
人間として怖いよ香織殉死。
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記録写真としてなら右側だけで充分だと思う。
自分も祖父の時に、そうして親類で囲んだ写真を撮った。
しかし、左の写真とキャプションがあることでメッセージ性が
強くなったことは事実であり、また見ている側のい心地の
悪さにもつながっていると思う。
個人的にはそうした私写真を公開する勇気はないが
長島有里枝さんの様に自分の家族や妊娠をテーマにしたり
自分の闘病の記録を綴った写真を発表する人がいるのは
理解できるし、そういうジャンル自体の否定はしません。
(見るのはしんどくて、あんまり好きではないけど・・・)
ただ、こういう作風で持続してくのって、すごくエネルギーが
必要でしょうね。
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>>93
発言を読んでいて、私が頭に浮かんだのは、向田邦子の 「かわうそ」 という短編小説。
「思い出トランプ」 (新潮文庫) という作品集の中に収録されています。
奥さん、さとう玉緒なんかは、きっと大嫌いなんでしょうね。(^^;
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>>89
> 嫁「女の暗黙のルール破ってるわ。
私の考えを述べると、先の 67でも書いた通りですね。
> ある種の、タブーや暗黙のルールみたいなものを、恐れていない点も良いと思います。
ということになります。
ところで、さとう玉緒さんのサイトに荒木経惟さんの写真が登録されているのを発見。
上半分、モノクロ写真の方がそうです。
http://www.petit-smile.com/tamao/photos/
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香織淳士さんこんにちわ!
> まあ、写っている娘さんの左の方がちょっとわざとらしく見えるとか、
>私ですら自粛気味で敢えて触れなかったので、
>その辺なのかなーとか(右側が作り笑いに見えることよりも、
>左側が作って見えると書く方が、個人的に写っている方の名誉の為に避けたく思える)、
>右の写真の笑顔が陶酔的に見えるとか、そういう部分なんでしょうか?
すごい!すごいです!私の書いた文面からそこまで推測されるとは!!
あれから今朝も複雑な思いで家族サービスの日を迎えてしまいました。
※この後に書くことは香織淳士さんに向けてだけ書きます。
※不適切な文章となると思いますので出来るだけ他の方は見ないほうが…
実は89に書いた「ほぅ………あんたの考えやないな」の…にも会話がありました。
「これ全員嘘ついとる」みたいな書くには不適切で端折った部分があります。
その時はあまり気にならず聞き流していましたが…。
『女の計算』の話ですが
>『私はお母ちゃんの傍に最後に居られて、幸せだったよ』と見せびらかすことであって、
を見せたところ、「やっぱ男ってこう解約してくれるんやな…」の後
嫁「娘の嘘は女ならすぐに見破れる」
(若いとき彼氏の前ならやるでしょ的な嘘)
私「エ?」
嫁「母親の嘘は…もしこれ撮る人が自分の旦那や息子なら、この表情やない」
(まぁ長年女で生きてきた訳だし条件反射的嘘)
私「エェ?!」
嫁「撮影した人が後にカメラマンになった嘘。…いやしいよ」
(これは個人の好きにすれば〜的嘘らしい…嘘というか…どうでもいい)
私「…」
ココ、ココと嫁がホームページを見せながら67さんが書かれた内容を指して
>篠山さんの荒木批判のニュアンスも、だいたい、ここで発言されていることと似ていたように記憶します。
嫁「(↑がその通りなら)最悪なんはこの写真選んだ人やなぁ…」といいました。
嫁「選考する人が自分を正当化するために使った嘘」
(彼女と母親の表情を見抜きながら自分の為に正当化???した的嘘なのか?)
私「あぅ?あぅ?」
と続けざまに言われました…
()の内容はおそらくこんなニュアンスだったと思います。
私にしたら最初の嘘から納得できずに、こんな表情できる彼女に嫁は嫉妬してるんだぁ〜と思いこみケンカ腰でエスカレートしていったんですが……最初の部分を理解(理解です納得ではありません)するのもかなり苦労しました。
嫁のメチャクチャな説明でも、昨夜はなんか話が繋がった感じがしてしまい、
↓を言うかもって思っちゃたんですよねぇ…
>この写真を見せられたら「こんな写真を私に見せるな」と本人に言うでしょうね。
嫁は今朝からケロっとして家族サービスデーは無事過ごせたのですが
香織淳士さんの文章読んでまたわかんなくなってます…
最後に嫁が締めくくったのは
嫁「東京人が描いた安もんドラマ見せられてるみたいで嫌」。
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こがらしさんはじめまして!
>奥さん、さとう玉緒なんかは、きっと大嫌いなんでしょうね。(^^;
それがですね、芸風として気に入ってるみたいなんです。
女の暗黙のルールなんてやっぱり私にはさ〜っぱりわかりません!(もう聞かんかったことにします)
上の香織淳士さんに宛てた文で、こがらしさんの内容が出てきたのも、なにか偶然じゃないような嫁の恐ろしさを感じます…。
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最後に…
私には最近、最も考えさせられた事件でした。
これからもう少し自分の目で見直してみたいと思います。
「狭間」という作品に出会えてよかったと今は思っています。
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一遍書き込もうとしたんだけど、どうしても書き込めないので抜粋版で(^-^;)>゛゛゛。
>でもやっぱり、『最後にこの写真が撮れて、良かったね』という私の気持ちは、
改めて100さんの書き込みを踏まえて、ちょっと逆上って読み返していて、
奥さんの『エッ!』というのの意味が、やっと判った気がします。
いや、あってるかは不明ですが、私がこう思ったことに対して、
『そりゃー無いやろう?!』と思われたんですかね?
いやでも、私が良かったねと思ったのはお母さんの為であって、
別に娘さんに騙されてでは無いので、
私が何か読み違えてるような気も‥‥(大汗)。
>(若いとき彼氏の前ならやるでしょ的な嘘)
読み返し二回りめでやっと実感しましたが、
要は男を口説く為の表情だったと、
奥さんは言いたい訳ですな──。
確かに、二日後に母上が亡くなった後、本当にそういう表情だったんだとしたら、
『二度と見せるな』と思うかも。
今頃になってやっとですが、納得です。
100さんの奥さんが言う通りで、
それにも関わらず娘さんが豪胆にも出品を勧めたのか、
それとも100さんの奥さんの読みが外れているのかについては、
敢えて詮索せずに済ませておきます(^-^;)>゛゛゛゛。
後者だった場合、余りにも失礼ですもんね。
前者だったら前者で、アメリカ人的だけど、別にええやんということで──。
>嫁「(↑がその通りなら)最悪なんはこの写真選んだ人やなぁ…」といいました。
>嫁「選考する人が自分を正当化するために使った嘘」
私も、昔撮った自分の写真を正当化する為に選んだな、こりゃーと思いましたが、
奥さんの読み通りだと──。
思わず笑うしかありませんね(^-^;)>゛゛゛゛。
ところでこの写真とさいとう玉緒さんとの違いは、
さいとうさんのがお約束としての、バレバレの演技であるのに対して、
この写真の娘さんのは演技だとしたら、
大切な誰かにはバレてはならない演技だからでは?
社会的存在としての『可愛い女を演じる』ことと、
コッソリと個人的に男を騙してるのでは、ニュアンスが違いますもんね。
何にしても、
100さんの奥さんの語られた内容に多少なりとも触れることが出来て、
私にはとても勉強になりました。
あいや、それは写真鑑賞の勉強では無いのかもしれないけれど、
もっと深いところで──(大汗)。
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最後に、、、、
たきぐちさんのHPで写真を拝見しました、、、
型にはまらないというか型がないといったほうがいいのか、、、
とくにいいともわるいとも思わないたくさんの写真たち、、、
ちょっと感じたのは人が作った多くの物が無味乾燥に写されている。
あるいは撮影者自身の存在を消すかのような意図さえ見える、、そんな中で
「狭間」は生活の中にたしかに存在し日頃無意識にないものにしているどうしようもない現実をやさしく表現してるいい写真だと思った。
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> 女の暗黙のルール
単なる自分の思い込みを、これが常識と思っているタイプでないかな。
そういう具合に奥方と一致するタイプなら、似た者夫婦で結構ですが、
暗黙の常識と言うものは、そこから目覚めた時、また恐い場合もあるよ。
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念のため言っておきますが、ボクはどの表情も演技とは思っていない。
まあ、普通の表情と思う。しかし、写される事を意識する限りは、それなりの
顔を作るのは、やむを得ないだろう。そうするな、と言っても無理だ。
皆も経験あると思うが、写されると分かっているとき、カメラを意識するなと
言っても、それは無理でしょう。モデルじゃないのだから。
それは非常時の場合も同じでしょう。
ただし、もっとひるがえって言えば、誰だってある程度は演技しながら
生活していると思うよ。久しぶりに友人に会った時など、オーっと、オーバーな
態度とるなど、そんな意味だ。それらも演技と言えば、言えなくも無い。
(このあたり、童話「星の王子さま」のテーマでもある。)
ただし、演技を言った人は、そんな意味で言ったのじゃないでしょ。
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私の祖母や叔父が死ぬ前に病室を訪れた時は二人とも意識がありませんでしたが、
この写真のお母さんはそうではありませんね。たぶん自分がもう長くないことは
知っているだろうに、微笑んだりしている。自分はそういう時を迎えた時に、
この人のように笑えるだろうか。娘さんも微笑んではいるけれど、やっぱり眉の
あたりの険しさは隠しようもなく、泣き笑いという感じかな。そりゃそうだよな。
危篤の親と話すはめになったら、やっぱ困るだろうな... この絵に含まれる情報に
触れたとき、私が感じたのは、そんなかんじでしょうか。
この娘さんの表情には嘘や演技が混じっていないか? そりゃ混じっている
かもしれません。私なんか、誰かの葬式に行く度に「親父が死んだら集まった人の
前でこんな話をして、ここでちょっとウソ泣きしてやろう」などと思いますよ。
けれども、私の親は毎週欠かさず死んでくれるわけではないので、突然本番が来たり
すると、イマイチ上手に演技できないかもしれません。舌がもつれたり、「予定」
より早く、予定より多く、泣いてしまったりするかもしれない。不思議なことに、
世の中には自分の親が本当に好きな人間も存在するわけで、そういう人が間もなく
死ぬとわかっている親と言葉を交わす時は、「演技」に集中できない時もあるでしょう。
カメラのレンズには、それを向けられた人を平静ではいられなくする作用があるし、
危篤の親の前だろうと何だろうと、人が利己的な存在であることをやめられるはずが
ない。けれども嘘だとか演技だとか、そんなあたりまえのもの、ありふれたもの、
自分の中にもたっぷりあるものには、誰も興味もひかれないし、自動的にスルーして
しまう。けれどもこの絵にはそれ以外の「情報」、人間の貧弱な想像力を刺激して、
自分もいつかはこの娘さんの、あるいは母親の立場になるのだ、という単純な事実を
思い出させるものがある。だから選者はこの絵に意味があると思った...。私はそう、
単純に解釈してますけどね。写すのはいいとしても、それを公開する必要はない
のではないか? そうかもしれません。私もどちらかというと、そう思う方です。
昔フリーのカメラマンと仕事をした時に感じた違和感は、今でも覚えています。
しかしそれを「身内の死を切り売りする」という一言で切り捨てるのは単純すぎる
ような気がします。カメラマンに特有の鼻持ちならない思い込み。そういうものは、
「撮りつづけるしかない」という滝口さんにもあるような気がします。しかしカメラ
マンがそういう病気にかかりやすい仕事をしているわけで、彼らへの批判はそれを
ふまえた上でのものであるべきだろうと思います。長文失礼。
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珍しく長いスレになってますね。
自分は↑のコメントにあった香織淳士さんの意見に近いですね。
それほど心は揺さぶられません。
ただ、心を揺さぶられる人もいるとは思います。
また、やはり2枚の組みに違和感を覚えました。
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>嫁「母親の嘘は…もしこれ撮る人が自分の旦那や息子なら、この表情やない」
> (まぁ長年女で生きてきた訳だし条件反射的嘘)
私も阿呆やなーと思います。
やっとこの文章の主語がお母さんであったということと、
その意味するところが理解出来ました(ガックシ)。
なる程、三つ子の魂百まで、女としては人にいい顔見せたいと‥‥。
目の前に書いてあることの意味を理解するのって、
たった二行の文章であったとしても、難しいんですね──。
100さん、ちゃんと奥さんの言う言葉の意味を理解して
(まあそこに、百万言の遣り取りがあったんでしょうが)、偉いなー。
でも、理解出来てみると『ああ、なる程ー』と思ってしまいました。
なる程、女同士だから判ることって、確かにあるんですね
(でも、娘の為にでも、同じ表情見せる気もするけど。苦笑)。
前回の私の書き込み以降の書き込みも、
やはりとても勉強になりました。
ほとんど人生の勉強に近いものばかりで、
そういう遣り取りの起点になったこの写真、
写真としての好き嫌いは別として、世に有り難いものですね。
滝口さんのホームページの写真については、
賞のタイトルホルダーという肩書無しで、
この写真に価値を見いだす人居るんだろうか?というのが、
偽らざる感想です(先に書いておきますが、
雑誌に載っている写真の大半は、私には訳の判らない写真と映ります)。
そういう意味では、奥さんが賞を取った写真を推薦した理由、
判る気がしますね──。
内助の功とか外からは言われながらも、
現実には旦那さんを陰から操ってそうなタイプなんではないかと(^-^)゛゛。
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たかが見せ物にすぎない演劇でも人はなにがしかの真実を感じ、感動したり泣いたり笑ったり。「オレは違う!」とニヒルな
人も、実はそう思う時点で演技にはまっている訳ですから、私は「演技のなかにも真実が含まれている」と思っています。
大体、作品を撮るという行為は現実の一部を切り出し、よりもっともらしく見える何かを作り出す行為ですから、追求すれ
ばするほど生々しい写真になります。嘘が鼻につくという感想も至極当然ですが、この写真にあるのは嘘だけでしょうか。
母の微笑みは、娘の演技もかみ含めて「こんな娘を宜しくね」と撮影者に言っている様に私には見えます。其れは「嘘」
という言葉で示される淡泊な感情には、私には見えませんがね。様々な考えを持つ方が居られるものだ感じいってます。
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>>奥さん、さとう玉緒なんかは、きっと大嫌いなんでしょうね。(^^;
> それがですね、芸風として気に入ってるみたいなんです。
さすが、奥さんもそのあたりは分かってらっしゃるようですね。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1305418
>>篠山さんの荒木批判のニュアンスも、だいたい、ここで発言されていることと似ていたように記憶します。
> 嫁「(↑がその通りなら)最悪なんはこの写真選んだ人やなぁ…」といいました。
> 嫁「選考する人が自分を正当化するために使った嘘」
しかし、それにしても(たった2枚の写真と私のつたない発言をもとに)ここまで言い切ってしまう奥さんの自信って何でしょうね・・・
荒木経惟さんの写真と死についての話は、下の千夜千冊の評論が分かりやすいかも知れません。
下の記事に出てくる荒木さんが撮った女性、 「鈴木いづみ」 (作家・女優) については、ぜひ記事にある名前のリンクをクリックし、彼女について書かれた記事を読んでみてください。(ここでの話に通底するものがあります)
ちなみに、鈴木いづみも岡田史子(漫画家)も、すでに故人となっています。
松岡正剛の千夜千冊 「写真の話」
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1105.html
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アラーキーを
「東京人が描いた安もんドラマ見せられてるみたいで嫌」。
で締めくくるとは・・・
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>内助の功とか外からは言われながらも、
>現実には旦那さんを陰から操ってそうなタイプなんではないかと
このように知人でもない方を評するのは勝手だが、ご自身のライフワークについての
意義や見解を語ってもらいたいものです、、、、皆さんも一度彼のHPをご覧になっては?
オススメできませんが、、、、
香織淳士のHPに対するわたしの感想は皮肉にも彼自身の言葉で語られています、、、
「この写真に価値を見いだす人居るんだろうか?というのが、偽らざる感想です。」
では、、、
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『と予想する』という文章を、補って読んで欲しいもんですが、
読者にそこまで期待するのは、無駄なのかな?
まあ、113さん(104の書き込みを評価して、一応さん付けしておこうか)が、
わざわざ私のホームページを宣伝して下さるのは、とても有り難いことです。
ただ、あなたの為に気づかって、滝口さんの写真をもっと露骨に評価しなかったことは、
ちょっと勿体なかったかなと思いました(滝口さん本人の為に、結局明示しませんが)。
でも、113さんは一つ判っていない様ですね。
私には判って、あなたには判らないことがある
(これは、写真を見た時に、その写真の良さが判るかって意味ね)。
そして、私には判らなくて、あなたには判ることもある。
113(あ、私のこと呼び捨てにしてたから、やっぱり今後は呼び捨てね)は、
きっと普遍的な価値とかって、信じてるのかなと思ってしまいました。
だって『この写真に価値を見いだす人居るんだろうか?』って言うのは、
ありとあらゆる写真に対して、適用される言葉なんですから。
それが判っていたら、皮肉の為とは言え、113が引用した言葉は、
引用されなかったでしょう。
あなたは、『私は、この写真に価値を見いださなかった』と書くべきだったなって、
そこまで世話焼いてやる必要もないか(-_-)v-~。
ところで秋山某(実は名前覚えてません)の花のシリーズの写真って、
何一ついいところを見つけられなかったんですが、
荒木某の花の写真は、一転とても魅力的に見えますね、個人的には。
実は荒木某(名前覚えろよ)の写真で今まで眼にしたものって、
個人的に魅力がかけらも判らなかった写真ばっかりだったんですが、
こがらしさんご紹介のページの花の写真は、とても惹き付けられました。
同様に滝口さんの写真も、いろんな写真を撮られるでしょうし、
その中には今回賞を取った写真を、何時か超える写真も出てくるんでしょう。
それまでの間を映像作家として食い扶持を支えるのが、
今回賞を受賞したという事実なんでしょうね。
奥さんの演技があろうが無かろうが、それは事実なんだと思います。
訳の判らない怒りを持って興奮するよりも、それで充分なんじゃない?
しかし、113ってつまんない読み違いから敵意剥き出しにして、
ちっちゃくて笑っちゃいますね。
あ、今回は『と予想する』って付ける必要はありません。
だって滝口さんの奥さんに関する考察は、まあ言えば屋上屋の類推から来る推測ですが、
113については目の前にある事象を元に判断していますから。
って、ああなんだ、92の書き込みした、屑だったのか──(-_-:)。
真面目に書いてやって、損した。
人の非難をする為だけに、人の死を悼んでる振りする、最悪の屑だもんな。
だいたい、こがらしさんの文章みて『攻撃するならこのネタだ!』って思ったのバレバレで、
君のその恐いぐらいの単純さが、恐いよ(>_<)゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛。
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114は精神的に病んでますね。
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半死体で賞を獲るなんてこの人すごいですねw
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秋山庄太郎さんの一連の写真って一種の様式美であり
花であろうが女性ポートレートであろうが同じ空気感を
持つものであり、現代の刺激の中では退屈に見えるかも?
一方、アラーキーは、とにかく刺激的だし独自の生っぽさが
何をモチーフにしても強く感じますね。ゆえに天才なんでしょう。
花の写真、あれって普段は意識していない「植物の生殖器」と
いう事実を突きつけられヌード以上にエロチックな感じを受けます。
それが、魅力なんだろうけど、ちょっと刺激が強すぎて居間の壁
なんかに飾るには勇気が必要かも?
その点、秋山さんの花やポートレートは居間に飾りやすいですね。
どっちが写真として優れているかなんて決める必要はないでしょう。
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いや、
115はこわいんだろう?
彼に勝てない現実が。
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>>114
荒木経惟の名前の読みは、アラキ・ノブヨシですね。
米国の amazon.com で、Araki Nobuyoshi を検索すると、50冊近い写真集がすでに海外でも出版されているのが分かります。
ざっと眺めただけでも、ほぼ荒木さんの主要な仕事は網羅されているような分量です。
ここを読んでいる人が荒木さんを評価してもしなくても、もうすでに、それだけ世界中で評価されてしまっている写真家なので、いまさらどうこう言っても始まらないわけですが、そうはいっても、写真について考えようとすると、荒木さんの写真はどうしても引っかかってくるところがあるわけです。
どこまでが写真か、どこまでが芸術か、写真はどこまで許されるのか、といったような問題を壊したり無意味にしてしまったり、そういった仕事をしてきた人だからです。
上にリンクした千夜千冊を読んで、いろいろと思い出すことがあったのですが、荒木さんの写真って昔からウソや偽物が多かったんですよ。(笑)
コンパクトカメラで撮った写真日記の日付は、本当にその日に撮影したかどうか怪しかったし、写真に登場する女性の名前もウソっぽいものが多かった。
そのため、私は両親の死体の写真も、今回リンクした記事を読むまで、本当に死体を撮影したものか、生きた両親にポーズをとらせて撮影したものか、長年のあいだ半信半疑でいたことを思い出しました。(笑)
上にリンクした千夜千冊から、このスレッドに関連しそうな、(正剛さんの書いた)荒木さんのことばを拾っておくことにします。
| 写真が現実や真実を切り取っているというのはウソでしょう。
| だって、それは表面だけじゃない?
| 人の心なんて写真は撮らないからね。
| 家族で撮ってくださいとか、来るわけ。で、撮るでしょ。
| アタシはどうかというと、その家族なら家族がつながりあっていることが羨ましいんだよな。
| アタシとむこうの関係なんてケチなもんですよ。
| 写真ってさ、こんなもんなんだよ。
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“嘘は大きければ大きいほど大衆は騙される”
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