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【写真】房総写真行―九十九里浜(デジカメWatch)
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【Web写真界隈】
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コメント
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私は凡人だから、一枚目みたいな写真は撮れないな。私なら、ボツ。
よくわからない写真をたくさん撮れるというのは、すごいことですね。
10枚を超える写真が使われているけど、今週のテーマは何だったのだろう...。
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このシリーズはくだらないから中は見ないんだけど、
>Web写真界隈
>房総写真行―九十九里浜
>Text by 内原 恭彦
となってるのね。文章だけで、写真は撮ってないの?w
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これはひどい
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うわぁ〜写真を見ても分かる、右肩下がり!
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1000枚の中から選び出した写真がこれか。
・・・・・・言葉が出ない。
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へえ、この人、グランプリ賞などをとったともあるんだぁ。
いいと思う人もいるんですね。
何だか、社会の恥部ばかりを集めるのがテーマのような・・・
編集者も強い信念で採用しているだろうなあ。
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プロなのにテーマ無く撮るのは感心しないね
スナップに意味なんて無く、残したい今を撮るだけなのかもしれないけど
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私としては、内原さんの写真は、これはこれでいいような気がしています。
1枚目の写真は、廃墟予備軍みたいな建物で、あと10年くらいすればちょうど良い荒れぐあいになりそうな予感がプンプンします。
とりあえず写真に撮ってツバつけといて、将来味が出たころにまた撮影するつもりなのかも。
2枚目以降の写真は、10年後にはすでに無くなっていそうな風景ですね。
内原さんをディズニーシーに閉じ込めて写真を撮らせたら、ディズニーの経営陣が怒りそうな写真を、たくさん撮ってくれそうな気がします。
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TDL>ううっ、バックヤードや従業員通用口系ですか?
それとも観光客が写すより汚い写真ですか?
オリエンタルランドじゃなくて本家からお叱りがきそうで怖い(笑)
アルティザン&アーティスト(かばん屋)の
サイトに写真家の方がエッセイを
書いているんだけど是非読んで欲しい。
そして写真も見て欲しい。
優劣ではなく、何かが違うんじゃないか、おかしいのでは
ないかと考えさせてくれるはずです。
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>内原さんをディズニーシーに閉じ込めて写真を撮らせたら
面白いだろうけど、商業媒体では怖くて発表出来ないだろうなぁ。
藤原新也の「アメリカンルーレット」で、やばいドナルドが写ってたのを思い出した。
あれもアメリカ本国での出版だったらちょっとやばかったかも。
先日、ユリイカの大竹伸朗特集読んでいたら、
中川理さんの「「日本」を宙づりにする「日本景」」って文章が載っていて、
ここ最近の、日本の「いわゆる美しくない光景」ばかりを集めた本
(中川理さん本人の「偽装するニッポン」や、 都築響一の「珍日本紀行」など)についての
エッセイのようなことが書かれていた、私には難しくてわかんなかったけど。
読むと、こういう写真表現が出てきている背景を考える上での
なにかしらのきっかけにはなるかもしれない。
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なんつうか、私は「地名のもつイメージから逃れようとした挙げ句の視点の固執」を感じるんですよね。
沖縄だとか九十九里だとかバンコクだとか、そういう地名から連想されるイメージでは絶対に撮らないぞ、
オレはステレオタイプには陥らないんだという彼の意識によって、撮影スタイルや被写体選択が窮屈なもの
になっているような気がしてならないのです(無自覚の意識かもしれませんが)。
いや、それがオレのコダワリだ、意識してやっているんだと謂われれば、そうですか、頑張ってください、
としか言えませんけれど、もう少し自在に気楽に撮影してもいいのじゃないかと感じてしまう部分もあります。
だから、内原氏をディズニーシーに閉じ込めたら、意地でもディズニーじゃない雰囲気の写真を撮ろうとして
ウロウロしているような気がします。シニカルな視点で撮るでもなく、ただ違和感を求めて、日がな一日。
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>>11
たでさんのおっしゃるとおりだと思います。
それが独自の視点になるから、好き嫌いが
はっきりしてしまうのでしょう。
僕もじつはあまり好きではない写真ですが・・・。
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これ本当に1000枚の中から選んだ写真???
信じられない!!
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1枚目の白い建物、11枚目の砂浜アップ画像についてですがご意見を伺いたく。
1枚目は建物と背景の雲、双方白いので白の階調優先でアンダー目なのではと愚考
しますが、全体に眠くピントが甘いのではと感じます。
11枚目の砂浜はグレー基調なのでこれまた立体感を出すためのアンダー目露出とも
思うのですが、これも甘いピントに思えます。
印刷前提ならばこれでOKなのでしょうか?でも、webでの発表形式ではシャープ
に振っても良いのではと思いますが、コンデジ慣れしたせいでしょうか?
以前彼はRAWから二種類の現像ソフトで仕上げと書いていた記憶がありますが、
自分はRAW現像は滅多にしませんので、パラメータ各種の調整など、少しだけ
皆さんのノウハウや考え方をこの二枚で聞かせていただきたいです。
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> なんつうか、私は「地名のもつイメージから逃れようとした挙げ句の視点の固執」を感じるんですよね。
こういった意見が出てくるのは、私も分かる気がします。
内原さんが撮影した場所の中には、私も良く知っている土地がいくつかあって、今回の房総もそうですが、横浜などの写真も、関内や石川町や山下埠頭あたりで撮影しているらしいことは分かるのですが、私の知っている横浜とは全然雰囲気が違うので、撮影した場所がどこだか良く分らなかったりします。
今回の房総の風景などに関しても、文章の方は私の良く知っている房総の光景が描写されていたりするんですよね。
たとえば、次のような一文。
| 松や海浜植物の生えた空き地の中にバンガローのような別荘が多く目につく。
| 住人のイマジネーションがやや暴走したかのようなファンタジックな建物が
| 留守居らしくひっそりとたたずんでいる様子は奇妙だ。
茂原のあたりに住んでいた友人の借家なども、田園地帯の一角に建てられた、白い壁にオレンジ色の屋根のついたメルヘン調の家屋で、それが6棟ならんだ光景は、周囲の風景からは異様に浮いて見えたものです。
夜になると、ラブホテルと間違えたアベックの車が、しばしば敷地内に乗り入れてくるため、友人は、迷惑しているとこぼしていました。
とまあ、そんな雰囲気の土地なのですが、文章にはそういった面白いことがいろいろ書かれていても、写真にその光景が反映されていないのは、この連載の読者としては、たしかに残念なところです。
その一方で、内原さんって、やっぱりこういう風景が好きなんだろうな、というのも分かる気がするんですよね。
崩壊寸前で、この次に来ても撮れないかも知れない光景とか、時間に取り残されたような一角とか、なつかしい風景、それに死のにおいのするものなどなど。
これらのものどもをとおして、生きていることを実感するのか、あるいは世間の喧噪をのがれて侘寂(わびさび)にひたっているのか、そこまでは分かりませんが。
ディズニーシーの件に関しては、いったい、どういう写真が出てくるんでしょうね。
このあたりについては、各人で想像して楽しむのがよろしいのではないでしょうか。(笑)
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最初あえて文章を読まないで感想を書きました。
この方は、不思議な作風を目指しているのですね。
個人的には、
努力を見せないで、深いものを作る
という世界が好きなのですが...。
1枚目は、切取り方の中途半端さが、違和感ありと感じました。
砂浜の写真も、特別なものを感じるのが難しいです。
どんなペースで撮ってもいいと思うのですが...。
これらの写真で伝えたいことがあるのでしょうか。
伝わっているのでしょうか。
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一枚目の写真、微妙に水平出てないあたりが気持ち悪い。
傾けるならもっと大胆に傾ければいいのに。
気持ち悪さを狙ったのなら成功しているとはいえるが、はたして...。
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内原さんの写真って、なんかジャンクですね。ロウファイですね。でもって、とってもナイトメアですね。なんつうか、感覚的な感想として。まあ、好き嫌いは分かれそうですが、彼の凄さは認めざるを得ませんね。彼のように撮れる人なんて、まあ、いないと思いますからね。現在、ウェブ上で写真を発表している人なんて腐るほどいますが、内原さんの場合は、その行為自体が表現の域まで達している稀有な例だと思いませんか?僕は思いますけど。森山さんも述べていたけれど、圧倒的な量と写真の等質感。特にカラーでこの等質感を出せるのはけっこう凄いと思います。僕は個人的に、正直テーマなんか糞食らえと思っているし、量によって質が生まれてるということや、世界はすべて等価であるという、今では古びた感さえある森山大道的写真論は、結局、写真を撮り続けることができる究極の指標(言い訳)だと思います。良い意味で。四の五の言わずに撮ってりゃいいじゃん。っていう。だからなんかさ、構図とか、色の濃度の事とか、はたまたいい歳こいてとかって年齢のこととかを突っ込む輩がいますが、別にそれをどうこう言うのは自由なのでしょうが、まあ、つまらないですね。そんなちまちました細かいことで揚げ足とるみたいなせこい意見は。もっと総体的に内原さんの写真行為を論じる意見を聞いてみたいなあ。もちろん、そういう細かいことはとても重要だというのは踏まえての話だから、勘違いしないでね。
アホな例えで申し訳ないけれど、僕は個人的に内原さんのマッドマックス的な世界観はとても興味深いです。好きとか嫌いではなく。無意識的に創造されたオブジェ(捏造された世界)を収集しているような感じというか。人工の産物が自然(時間)の中でオブジェ化している感じ。あまりうまく言えないけれど、こんな感じが、彼の被写体に対する眼差しを選択するファクターのひとつになっているのではないかと思っています。だから、それをゴミ写真の一言で片付けるのは、ちょっとナンセンスじゃないですかね。(だからまあ、思うにハレの場である虚構の世界、ディズニーに内原さんが足を踏み入れるとは到底思えないし、やってほしくないですね。)
長くてごめんなさい。こんだけ書いてるけど、決して内原さんに対して、全肯定というわけではなくて、例えば撮影した枚数をひけらかすのは、どうかと思うね。だって多く撮ってて「オレ頑張ってるんだよ」ってアピールしてるみたいなんだもん。そんなの自分から言われてもねえ。正直、逆効果っすよ。あと、個人的に内原さんの向かう場所って、結局ベタベタていうか。タイとか沖縄とか。写真撮る人にとって優しい場所へ行ってるなあってのが、なんとなく印象としてありますね。けど、まああまり写真の内容とは関係ないので(どこ行っても等質なので)、別にいいんですけど。けっこうベタだけど、概ね肯定派です、僕は。がんばってくださーい。匿名だと気楽っすね。
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ちなみにこの連載、明らかに読者に擦り寄ってるよね。主に写真のセレクト。だって自身のHPの写真の方がおもろい気がするよ。
まあ、いろいろ制約があるんでしょうかね。
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適当に捨てハン使って「匿名だと気楽っすね」とイヤミを言われてもねぇ。
それと、長ったらしい文章で擁護したり、他の投稿者に対して敵意アリアリなのも見ていて痛々しい。
何を言われても、内原の写真には心に訴えかけてくるようなものが感じられないのは事実だ。
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類友ってたぶんこういうこと
…程度の嫌味くらい匿名で言い捨てたってきっとかまわないだろうもんよ
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>>18
> 特にカラーでこの等質感を出せるのはけっこう凄いと思います。
たしかに。
独特の色あせたような感じは、カメラが違っても変化しませんね。
色に関しては、どういう処理をやっているのか、ずっと気になっています。
露出をアンダーに押さえて撮影し、あとから明るさを調節して持ち上げると、こんなふうに色が浅くなるような感じはしますが、それだけではないような気もします。
あと、光が滲んだようになっていたり、画面全体の色抜けやコントラストや解像感が良くなかったりするところは、コーティングが発達していないころの、収差が残っている古いレンズを使っているような感じで、一種独特なレトロな雰囲気があります。
> 例えば撮影した枚数をひけらかすのは、どうかと思うね。だって多く撮ってて「オレ頑張ってるんだよ」ってアピールしてるみたいなんだもん。
小説家のあいだでは原稿の枚数、写真家のあいだでは撮影枚数は、お互い気になるみたいですね。
仲間うちの報告のようなものかも知れませんが(笑)、何枚写したかなど、たしかに、われわれ読者には関係のないことではあります。
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>その一方で、内原さんって、やっぱりこういう風景が好きなんだろうな、というのも分かる気がするんですよね。
確かに。指摘の通り、好きでなければとっくにゴミ写真という言葉に凹んで、この路線は止めているでしょう(笑)。
それにしても、誰にも理解してもらえなければ"自称"写真家になってしまうであろうし、かといって、普通一般
ありきたりでは埋没してしまう世の現実。一連の内原氏のセレクトは(普通一般と)ひと味もふた味も違うのは
必然なのかもしれないけれど、そこにある主張があるような無いような雰囲気の写真たち。ふと思う、確かに、
「うて、うて、考えるな」かもしれない。
「日常から埋もれていくもの」「日常の間隙にある非日常」を撮りたくなる気持ちはわかりますが、当然ながら
結果たる写真は私とかなり違う。写真の等質感はカメラの影響の少ないRaw現像ならではじゃないでしょうか。
私は(あり得ないけど)彼が切り捨てた没コマを見てみたいですね。ほっとするかゾッとするか、どちらかだと。
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