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連休でしばらく見ないうちにいろいろと書き込みがあってますね。
>でも子供の体か心が置き去りになっていたわけです。
なるほど、子どもは旅行になんか行きたくなかった?でも親の押しつけで旅行に行き《熱》と言うサインで拒否をした?
私の近所に友達家族がいますが、旅行の度に子どもが発熱だったそうです。子どもは旅行を楽しみにしていたにも関わらす。
熱の原因は扁桃腺、扁桃腺を取ったらそれも無くなったとか。扁桃腺を取るなら子どものうちにどうぞ。大人になると難しい。
私の子どもが熱を出したのは数十回の旅行のうちたった一度だけです。だからそのときの事は非常によく覚えています。
これも良い思い出の一つです。かえって旅行中に具合が悪くなるのは母親だったりしますね。私の嫁の事ね。
子どもが撮られるのに拒否反応を示すのは大人になってきた証拠でもあります。これも喜ぶべきか。
それともいつまでも子どもであって欲しいと思う親としては寂しい事か。正常ぶりではなく成長です。
浅薄な喜び?それは親が勝手に決めつけている事。自我の無い子どもの喜びは全て作り物なのでしょうか?
どうして自我が無いと決めつけるのか。写真に撮られている程度の子どもなら自我は十分にあります。
子どもには子どもの喜びがあり大人の喜びには大人の喜びがある。それを大人の考えで一様に決めつけるべきではない。
ハートのレフを持って写真を撮る。子どもが喜ぶのならこれも一つのお遊びの一環。いやがるならやめたらいい。
七五三の写真を撮る。三歳の子どもに衣装を着させて撮る。これは大変な作業です。なだめすかせて撮るんだから。
これはまさに親のエゴと言えるかも。七歳の子どもなら喜ぶけどね。しかし泣かせながら撮った写真もその子が大人に
なってみると良い記念になるでしょう。もしその時の写真が無かったなら、大人になった子どもが何故七五三の写真を
撮ってくれなかったのかと責めるかもしれない。自分の子どもの頃の写真。今見ると良い記念ですよ。作られた写真であっても。
親馬鹿も、馬鹿親も同じ。12で書いている通り、親心、親のエゴ。どちらでも良いと思う。ならばどちらも同じ。
強いて言うならば親心=親馬鹿、親のエゴ=馬鹿親。
ただここで言っている親は子どもの写真を撮る親に関してです。新聞を賑わしているような馬鹿親の話は別な場所でどうぞ。
長くなったのでもう寝よう。では。明日はまた子どもを連れてレクレーション。
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