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【写真】香港街道映照──kumaboh(デジカメWatch)
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【Web写真界隈】
Text by 内原恭彦
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コメント
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みんな、ウッチーネタには飽きたのか・・・
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’85年頃からおよそ5年間を屯門や九龍湾に暮らした窓に西日があたる部屋の香港の路地や匂いは基本的に今も何も変わっていないらしい。
懐かしい九龍城市はとうの昔に無くなってしまったと聞いたのはもう随分と昔のことだった。そこにはもう一つの香港があった。今はどうなってしまったのだろうと思う。そして無名の撮り手と無名の市井の人々との間に走る緊張こそ香港だからこそ成せるわざ。そういうワタシM4と東独の一眼にストロボをつけて昼尚暗い九龍城市の中を奥く深く徘徊。ストロボで浮き上がったそこは女郎屋も教会も学校も象皮病の男も売人も麺工場も手ポンプ式の成形機械も商店も勤め先に向かう夕暮れの若い女も親猫ほどもある大鼠も、あらゆる者と物がぎゅうぎゅう詰めに折重なっていた。へ、へ、昔話でスマン長々と。内原さんそろそろ貴方の作品を見せてね。(俄かニコ爺)
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>2
おまえはなにをいってるんだ
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内原さんの作品なら、Son of a BIT でいくらでも観られますが。
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>2
「九龍城市」。おそらく、Kowloon Walled City のこと?
それならば、漢字で、というか中国語表記で
「九龍城寨」とか「九龍寨城」あたりが正しいのではないか、と。
日本語的には「九龍城砦」が一般的ですね。
昭和は遠くになりにけり、ですな。
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>>4
それでいいんじゃない?
好きな人がチケット買ってギャラリーに行くか、日々の巡回先にするか。
俺はどっちもしないけど。
やっと商業サイトで自分の作品見て見てオナニーしなくなって、せいせいしてるところだ。
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>5
中国語表記でも香港は広東語文化圏だから『九龍城市』で正解。
と、思うけどなぁ。
たしかハンセンバンクか香港バンクの広報誌には九龍城市って
表記されていましたよ。見出し以外全然読めなかったけど。
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>7
仮に(廣東語文化圏ではなく)マンダリン文化圏なら「九龍城市」のことを、どのように表記しますか?
試しに香港Googleで「九龍城市」を検索してみてください。2さんの書いた
>ストロボで浮き上がったそこは女郎屋も教会も学校も象皮病の男も
>売人も麺工場も手ポンプ式の成形機械も商店も
>勤め先に向かう夕暮れの若い女も親猫ほどもある大鼠も、
>あらゆる者と物がぎゅうぎゅう詰めに折重なっていた。
というような世界はこれっぽっちも見つかりませんが?
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懐かしいですね.「九龍城市」をどのように記述していたか忘れました.立ち入り禁止区域の沙頭角や(中国返還前の)国境の河沿いを2年以上も入ったことがあります.
>2さんが言われるような光景に香港では出合うことができませんでした.沙頭角で結婚式の行列や旧正月のお祝,中国からの密入国者が逮捕されている光景は見たことがあります.
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>9
「立ち入り禁止区域の沙頭角や(中国返還前の)国境の河沿いを2年以上も入ったことがあります」というのは、この地域で2年以上暮らしたことがある、ということでしょうか。貴重な体験でしたね。あるいは、2年以上、潜入していた、ということでしょうか?(^^; いや、笑い事じゃなくて、警備を担当されていたのかな?
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>9
っていうか、「九龍城市」という固有名詞はない、のではないか、と。
2さんが描写している地域は、やはり「九龍城寨」、「九龍寨城」、「九龍城砦」でしょう。
日本語で出版されている関連書籍・写真集は、
http://www.amazon.co.jp/九龍城砦-宮本-隆司/dp/4582277365
http://www.amazon.co.jp/九龍城探訪-魔窟で暮らす人々-City-Darkness-グレッグ・ジラード/dp/4872574230/ref=sr_1_1/249-2406459-8353933?ie=UTF8&s=books&qid=1180277620&sr=1-1
このあたりが有名ですね。
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>2です。
>7さんの言われるように、香港バンクの広報誌?にその頃の城市の特集があってその表紙には九龍城市と漢字のタイトルと写真が確かに載っていました。写真は表紙だけでしたが、ワタシはそれに触発されて休眠中だった写真を改めて撮り始めました。当の広報誌はづっと保管してましたが海外から海外へ引越しを続けているうちに紛失してしまった。ちなみにここはもともと城砦があった所で城市の中心辺り雑貨店の前の路には青銅の大筒(大砲)が泥にまみれて転がっていました。そこは500㎡にびっしりと30階ほどの不法ビル群が立ち並んでいて最盛期には5万人の住民が棲んでいましたが、ワタシがここを極私的な方法で写真を始めた時には城市の住民は3万人と言われていました。当時の香港政庁の命によって、まずは不法ビル群の周りの低層スラムから強制的に撤去された。この城市周辺の場所が棘線で囲まれた土の広場に変わったばかりの時にワタシは写真を再開した。併し官憲が入れるようになった城市の中とはいえ依然として退去することが出来ない生活者(理由有り)がそこには溢れていたものです。不法建造のビルとビルの間は1m幅も無いところもあって昼なお暗く、しかも上階から漏れ落ちた汚水はこれ以上ゴミにはならないと思われるゴミと混ざり合って甘酸っぱい匂いを暗い路地に満していたものです。夕暮れの山側から啓徳国際空港入る旅客機は城市の不法ビル群すれすれに着陸ギアを落としていた。これの写真を撮るのには随分と苦労しましたが実際都合良く撮れることもなくてガッカリした思いがある。これらの話しは鄧小平死去とか天安門事件とかあったづっと以前の話です。
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5です。
>2さん
当時(1980年代)の地図を見ていただければわかりますが、地名=固有名詞としての「九龍城市」という地域は存在していません。「城市」というのは、日本語で言えば「都市」。「九龍城市」は、「(香港島サイドではなく)九龍サイドの都市部」という意味になります。香港バンクの広報誌に「九龍城市」という四文字があったのだとしても、それはそのまま Kowloon Walled City を指すものではないでしょう。香港島に対する九龍サイドの都市部を取り上げ、その中に Walled City という一角がありますよ、という紹介の仕方ではありませんでしたか?
繰り返しますが、「城市」がそのまま「九龍城寨」や「九龍寨城」や「九龍城砦」を指す、ということはあり得ません。身近な香港人にも確認なさってみてください。
ちなみに、わたしが初めて Walled City に足を踏み入れたのは1981年のことで、「不法ビル群の周りの低層スラム」が存在していた頃の話しです。
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5です。
>2さん
当時(1980年代)の地図を見ていただければわかりますが、地名=固有名詞としての「九龍城市」という地域は存在していません。「城市」というのは、日本語で言えば「都市」。「九龍城市」は、「(香港島サイドではなく)九龍サイドの都市部」という意味になります。香港バンクの広報誌に「九龍城市」という四文字があったのだとしても、それはそのまま Kowloon Walled City を指すものではないでしょう。香港島に対する九龍サイドの都市部を取り上げ、その中に Walled City という一角がありますよ、という紹介の仕方ではありませんでしたか?
繰り返しますが、「城市」がそのまま「九龍城寨」や「九龍寨城」や「九龍城砦」を指す、ということはあり得ません。身近な香港人にも確認なさってみてください。
ちなみに、わたしが初めて Walled City に足を踏み入れたのは1981年のことで、「不法ビル群の周りの低層スラム」が存在していた頃の話しです。
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>10さん
9です.立入禁止区域に住んでいたわけでもなく,警備員でもありません.毎日香港島から通いました.今でも無制限永久滞在ビザを取得しておりますが,この区域には許可が必要なので今では立入ができません.
沙頭角は香港の東側ですので海の水がきれいだったと記憶しています.反対にマカオや蛇口(セイハウと発音します)等の西側は,河口の影響で海水が濁っています.香港は変貌しましたが,海の色は変わっていないと思います.
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>9さん
10です。
それは貴重な経験をなさいましたね。香港サイドからの通いは、毎日大変だったのではないでしょうか。いや、楽しかったかな? 当時の禁區内で写真など撮られていましたら、是非どこかで御公開を!
香港西側は、汚れた珠江の水が流れ込んでいますから、汚いのはいたしかたないですね。それに対して、おっしゃる通り、沙頭角から西貢、清水灣にかけての東側は、今でも比較的水が澄んでいる。老後はこの東側で暮らしたいものです。
細かいことで恐縮ですが、「蛇口」の「蛇」には「イ」の音はないので、カタカナでは「セーハウ」が実際に近いですね。
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>10さん
9です.広東語発音のご教授をありがとう御座います.ヘタクソな広東語ですが,未だなんとか通じるようです.
ずっと昔ですが,(沙頭角ではありません)立ち入り禁止区域付近にある古い学校の校庭を撮影した写真が月例コンテストに入選したことがあります.
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>9さん
10です。もしも写真のブログなど公開されていましたら、是非教えてくださいませ。作品を拝見したいです。
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>10さん
9です.帰国して未だ(もう)5年です.カルチャーショックから立ち直るのが精一杯で,写真の整理はできていません.今では見ることができない飛鶩山頂からの啓徳空港の夕景等,いつか皆様に見ていただきたいと思っています.
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>2です。
>5さん ご指摘ありがとうございます。ただ、、
広報誌ではWalled Cityそのものを指摘していました。たとえその場所「九龍城市」が固有名詞ではないとしても事実上そこには最盛期5万人強の人口を擁する都市としての機能があったわけです。従って広報誌の編集者はそれを含めて九龍城市と肩書きしたと考えます。
またこの広報誌には何年か計画でこの土地を再開発すると書かれていたようにも記憶します。
「-城寨」や「-寨城」や「-城砦」は史観から捉えた固有の名詞であって当時の一般的な香港人の概念ではここをそのように認識していなかったようです。当時この様な、つまりそこは日本を含めた各国の野心を伴った大きな戦禍と中国の内乱から逃れきった正規に越境できなかった人々が集約されて住まわれた治外された場所であったからです。
事実、当時ここの写真を撮るワタシを擁護して下さった方は大戦中日本に留学していた人で戦後父母の住む上海へ入境する事が出来ず止むを得ずこの地で生活を余儀した経歴の持ち主でした。他に当時のワタシの生活を助けて戴いた女性もこの場所から活路を見出して香港人となった方でした。その方々のいずれも、香港人の多くはこの九龍城市から・・と言っていたことが強く印象に残っています。口上長くなりましたが、土地または地域をを指す名前は時によって表現が史観とが一致しないのかも知れません。
この様な観点からワタシは九龍城市は正しい表現であると捉えています。
因ってここがもう一つの香港もしくは香港の原点であるとワタシは考えています。今となっては幻の場所ではありますがね。
ところで>5さん。81年にここに踏み入れたそうですが、その時ここはどのような状況でした?写真もお撮りになりました?
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>2さん
5です。
>広報誌ではWalled Cityそのものを指摘していました。
一千九百八十何年の広報誌ですか?
>「-城寨」や「-寨城」や「-城砦」は史観から捉えた固有の名詞であって
>当時の一般的な香港人の概念ではここをそのように認識していなかったようです。
40代と50代の香港人5人ほどに聞いてみましたが、「九龍城市」という四文字が、即固有名詞としての「九龍城寨」を指すと認識している人は一人もいませんでした。あるいは、この5人が全員、1980年代の記憶を喪失してしまったのでしょうか?
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