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【レビュー(ハード)】リコーGXRの「A12」ユニットを実用カスタマイズ--ファインダー編(デジカメWatch)
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【切り貼りデジカメ実験室】
“写真とは何か”を知るために“写真”を撮る
“普通の高性能”が凝縮したGXR+A12カメラユニット
ファインダーの改造でより実用的な“スナップ用カメラ”に仕上げる
スナップ用カメラとしてのマイセッティング
実験作品「反-反写真」
by 糸崎公朗
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コメント
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これで「個展」だってんだから写真もナメられたもんだ。
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とても「作品」などというレベルじゃない。今はこんなのでライターになれるの?
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「イケてるんじゃないか?」ってどんなドヤ顔で書いてるんだろ
彼は結局ツギラマというアイデアだけだよね
写真じゃない
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>写真とは何か”を知るために“写真”を撮る
類は友を呼ぶ中二病で、今日も作り手と受け手は一線を越えて濃密でありますw
http://www.newangle.jp/
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普通の写真を撮るのがヘタクソ
ってかいてあるじゃないか
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理屈と言い訳で写真が撮れるのならラクなんだけどね~。
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な め す ぎ
写真を楽しむのは自由だが、
「見せる」となるとそれなりの覚悟が必要。
少なくともヒトサマの時間や労力をいただくのだからね。
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>7
もっと気楽な方が良いよ。
普通の人が道端で写真を売ったりしてる海外の姿をみるとね。
下手糞でもどうどうとアートで御座いますみたいな感じでやってるんだよね。
別にそんなに高い値段じゃ無いし、みんな気楽に見て、なんとなく買ってる。
アートのハードルをもっと下げたほうが、アートは栄えるはず。
その辺のおっちゃんのただのお遊びでもアートで良いと思う。
アートは凄いものじゃなくて、日常的で気楽に楽しむものにするべきだと思う。
まあ、後世に残るのは凄いものだろうけどね。
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↑
出羽の守
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つーか、目が腐る。
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自分としてはフォトモに衝撃を受けたのだけどね。
まぁ噛み付いている奴らってどんな写真を撮影しているのかが気になるところだな。
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ここのような反応があることも含めて「実験作品」なんだな。
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噛み付いてるんじゃなくて呆れてるだけでしょ。
噛み付く価値も無い。
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ところで GXR+24-72mm相当ユニットが 5.4万円くらいで販売の予定。
最初の値付けから見れば やけくその投げ売りモードだね。
売れてないんだねぇ。
最初にぼったくり価格で飛びついた人は歯ぎしりしてる?
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みなさん、率直なご意見ありがとうございます。
ブログに書こうと思ったんですが、それでは話が一方的になるので、こちらに返信してみます。
>1
ギャラリーの審査に通って個展できる人は、それが客観的評価になりますね。
>2
普通、ライターさんが掲載してるのは「作例」ですよね。
「作品」と「作例」の違いも興味あるんですが。
>3
>「イケてるんじゃないか?」ってどんなドヤ顔で書いてるんだろ
本当は、自分ではあまり自信はなかったんですが、記事のコンセプトにあるような写真を自分の「ブログ4」に載せたら、
http://d.hatena.ne.jp/itozaki/
友人の写真家たちに「いちおう写真として成立してる」とか「糸崎さんは写真が上手くなった」などと言われたので、記事に掲載することにしたのです。
ところが、このコメント欄での評価は非常に厳しいものになりました。
これは「写真」を考える上で実に興味深いことです。
>彼は結局ツギラマというアイデアだけだよね
>写真じゃない
ぼくのこれまでの作品は「写真」じゃなかったからこそ、コメント欄で文句が出にくかったのではないかと思います。
>4
写真家を含めた芸術家って言うのは、詰まるところ中二病をこじらせた人たちだと言えます。
>5
その通りw
>6
感性だけで良い写真が撮れたとしても、感性をある程度言葉に置き換えることができなければ、一発屋で終わる可能性があります。
>7
実に立派な言葉だと思います。
>8
岡本太郎は「単にきれいなだけの作品はアートじゃない」みたいに言ってますが、デュシャンは「どんなに悪いアートも、またアートである」みたいに言ってますね。
>9
検索してその言葉の意味を初めて知りました。
>10
見ていただいてありがとうございます。
>11
記事に掲載した写真は「反フォトモ」でもありますね。
しかし自分が撮ってる写真をさらしたら、匿名であることを活かした「ゲーム」になりませんよね。
>12
まあ、そう言えないこともないかも知れません。
>13
「必死だな」ってのが昔ありましたね。
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>15が一番必死に見える。
今の時代、写真を使った現代アーティストも技術的には優れた物を持っている事が前提になって来ているので、
その中で、 このタイプの人は色々と大変だと思います。
以前の写真作品も、写真史の中での元ネタが解ってしまう所は有るけれど、ボチボチ頑張って欲しいですね。
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>16
>>15が一番必死に見える。
「必死」は>13のコメントを受けて書いたまでですが、しかしぼくはなりすましとはいえ本人ですからw、一番必死なのは当然だと言えるでしょうね。
>今の時代、写真を使った現代アーティストも技術的には優れた物を持っている事が前提になって来ているので、その中で、 このタイプの人は色々と大変だと思います。
これまでの自分の作品は技術の高さも評価していただいてるのですが、今回の「写真」はそのような技術を封印してるので、いろいろと大変です。
>以前の写真作品も、写真史の中での元ネタが解ってしまう所は有るけれど、ボチボチ頑張って欲しいですね。
写真にしろ美術にしろ、先人の成果を継承しながら発展するものなので、教養があればより楽しめるのではないかと思います。
若い人には今のうちに教養を身に付けるよう、頑張って欲しいです(じゃないとぼくみたいに、後になって困りますから)。
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(なりすまし)と書いていながら本人だったとは・・・ホントに必死なんだな。
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>18
>(なりすまし)と書いていながら本人だったとは・・・ホントに必死なんだな。
ぼくはなりすましとはいえ本人であることは否定しませんが・・・
まぁ、必死じゃないとアートなんてやってられないし、それはどんな仕事だって同じでしょう。
必死じゃないと、文字通り食いっぱぐれて死んでしまいますから。
だからこそ、仕事をクールにこなして成果を上げる人はかっこよく見えるわけで、だから「必死だな」という揶揄も成立するわけです。
しかし冗談で言ってるうちはともかく、言ってる方が真に受けると、自分自身がいかなる場合にも必死になりきれなくて、困ることもあるから要注意です。
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>20
あのさぁ。
どうでもいいんだけど、その写真作品でのアートの思考の仕方が軽く1・2世代位は前の物に感じてしまうんだよ。
それも、公的性質の無い 個人的な私史に終わってしまう様な思考の仕方。
現代アートを「難解」では無く、「つまらないもの」としてしか見せる事の出来ない小さなフィールド内での思考の仕方。
学生が、自分達で借りた展示会場で元ネタバレバレな作品を展示するのは良く有る事だけれど、
それを 貴方の立場で堂々と こじつけ・言い訳に見えてしまう言葉の羅列で正当化しようとされても、
読んでる側は、どんどん興味が失せてくるんだよね。
言葉のギミックなんて言うレベルにも達していない。
ぶっちゃけた話、「これから写真の基礎を勉強して行きます。」ってだけの話でしょ。
「技術」・・・と書いたのは、写真を撮る技術の方で、作品を作る技術を指したんではない。
どちらにしても、色々と書いた所で (なりすまし)君とは有益な話の展開は望めそうにも無いのが解る事自体がアホらしいのだが。
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訂正
>19ね。
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>20
美術に詳しい方のようですが、ご意見ありがとうございます。
>どうでもいいんだけど、その写真作品でのアートの思考の仕方が軽く1・2世代位は前の物に感じてしまうんだよ。
今の時代、「古い」と言うだけで批判にならないところが難しいところですね。
しかしぼく自身、年齢的に前の世代ですし、いろいろと勉強不足ですから、「古い」と言われたら反省するしかありません。
>それも、公的性質の無い 個人的な私史に終わってしまう様な思考の仕方。
モダンアートは「私」を公に切り売りする行為とも言えますから、ぼくも私的な立場からものを言うしかありません。
もちろん、それを美術史や写真史に位置づけようと意識はしてるのですが・・・できてないと言われればそれまでですね。
>現代アートを「難解」では無く、「つまらないもの」としてしか見せる事の出来ない小さなフィールド内での思考の仕方。
「難解」と「つまらない」の対立軸は面白いですね、ぼくも興味があります。
ぼくのこれまでの作品は「分かりやすくておもしろい」傾向にあったので、それを方法論的に否定して違うところを目指そうとしてるのです。
>ぶっちゃけた話、「これから写真の基礎を勉強して行きます。」ってだけの話でしょ。
まぁそうなんですが、学生じゃなくてぼくのような立場の人間がマジメにそう言うのはちょっとおもしろいかも?と目論んだわけです。
試しに周囲の人間に話したら割と評判が良く、それで記事に盛り込んでみました。
もちろん、「つまらない」「くだらない」などという感想を持たれる方がいるのも当然でしょう。
それで「だったら自分の方がよっぽど・・・」と思って奮起する人がいるのだとすれば、それもぼくの記事の役目ではないかと思います。
>「技術」・・・と書いたのは、写真を撮る技術の方で、作品を作る技術を指したんではない。
なるほど、勘違いしてました。
>どちらにしても、色々と書いた所で (なりすまし)君とは有益な話の展開は望めそうにも無いのが解る事自体がアホらしいのだが。
まぁ、ここはなりすましじゃない本人に登場願いたいですが、立場的に難しいでしょうね・・・
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>22
正直に言って、本人でも話の展開は望めそうにないと思っている。
一番、問題に感じているのは、あなたが 以前の制作行為を「反写真」と定義してしまっている所に違和感が有るからなのだけどね。
あなたも認識している様に、元ネタ(引用・バックボーン)が見えていると言う事は、以前からその傾向の作家は居ると言う事で(当たり前なんだけど)、何故 それを「反写真」と名付けてしまうのかが、あなた自身が言われる
「ぼくの様な立場の人間」が行う行為としては、余りにも軽率な感が否めないんだよ。
もしも、
> モダンアートは「私」を公に切り売りする行為とも言えます
なんて事を デジカメジン と言う 現代アートとは無関係・無興味な人間の大半が書き込みしている場所で書くとしたら、
以前からの アーティストの行為も含めた論理をたてないと、ただの私史・ 私事を大袈裟に喚いているだけに過ぎないのと同然の行為になる。
事実、そう見える。
ブログを読ましてもらったけど、福居さんから助言された事と似た様な事を 「反写真」という定義行為でもやってしまっている印象が有る。
(因に、僕は福居さんの作品は以前から拝見していて好意を持っている。)
>今の時代、「古い」と言うだけで批判にならないところが難しいところですね。
これに関して言えば、「古い」物をリスペクトと言う形で提示する行為は、あなたの言われる様に 批判対象にはならないと思う。
が、今回の「 反写真 」「 反ー反写真」定義に関しては、それとは別物としか受け取れない。
最後に、僕は現代アートに詳しくはない。
けれど、現代アートは好きだ。
そんな僕から見て、あなたの 今回のデジカメジンでの書き込み内容も含めた行為は 現代アートを つまらなく誤解させてしまう(読者の人達に)様に感じたので、ここまで書かせて貰った。
もしも、「必死」だというなら、その世界(あなた事ではなく)を もっと大切に 相手に伝える意識も その中には必要なのではないだろうか。
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写真もアートもどうでもいい
なぜカメオタは写真やアートを語りたがるのか
(ちなみにオーディオオタクは音楽を語りたがる)
それが不思議だ
いや実は殆ど解ってるw
おまえら素直にカメオタしてろよ
おまえらが馬鹿にされるのはカメオタだからじゃない
素直じゃないからオタは馬鹿にされるんだ
しかし馬鹿にされまいと必死にアートを語る負のスパイラルw
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>24
君自身がコンプレックスを持ってないと、「オタ」なんて事書かないでしょ。
「カメオタ」なんて言葉を わざわざ遣っている書き込みを見るのは デジカメジンか2chくらいなものでしかない事を理解した方が良いと思うよ。
君の写真関係の交友録が寂しいものだというのは理解出来てしまうがね。
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はいはい、そうだそうだw
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そうそう、ちなみに自分で自分のことを「オタ」呼ばわりしてるマニアほどアートを語ることはしないし、知識もしっかりしたものを持っていることが多い気がする
そういうマニアのことは尊敬しているよ
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>23
またしても率直なご意見ありがとうございます。
他人に指摘されると自分のことがあらためて分かったりするので、いろいろためになります。
>一番、問題に感じているのは、あなたが 以前の制作行為を「反写真」と定義してしまっている所に違和感が有るからなのだけどね。
>あなたも認識している様に、元ネタ(引用・バックボーン)が見えていると言う事は、以前からその傾向の作家は居ると言う事で(当たり前なんだけど)、何故 それを「反写真」と名付けてしまうのかが、あなた自身が言われる
>「ぼくの様な立場の人間」が行う行為としては、余りにも軽率な感が否めないんだよ。
言葉の定義とは一義的に決まらないもので、「反芸術もまた芸術である」と言えるように、ぼくのフォトモやツギラマについても「アレは写真だよ」と言う友人も実際におります。
一方で、写真をコラージュしたぼくの作品は「写真の定義に外れる」ということで、写真のコンペに落とされたこともあるのです。
つまり何を「写真」として、何を「写真と似て非なるもの」とするかは一義的には決まらず、「文脈」によって違ってくるわけです。
その意味で、ぼくが「写真」とカギカッコ付きで表記してるのは、狭い意味で定義されている「写真」のことだと気づかされます。
ぼくはそのような「写真」の何が良いのか分からなかったし、それゆえに嫌っていたし、だからぼくの態度は「反写真」的であったの言えるのではないかと思います。
もちろん、そうした感情が発端の一つになってるわけですから、
>以前からの アーティストの行為も含めた論理をたてないと、ただの私史・ 私事を大袈裟に喚いているだけに過ぎないのと同然の行為になる。
>事実、そう見える。
と、見られても仕方ないかも知れません。
ただ、友人ら写真展をいくつか見ていると、写真関係者以外の一般の観客には「この写真のどこが良いのか分からない」という人が少なくありません。
時代が進歩して写真が誰でも撮れる簡単なものになると、素人の写真と写真家の「写真」の区別が付きにくく、その意味で「写真」はアートとして難しいものになりつつあります。
しかし、「分からないもの」に対し「嫌い」という態度で接することは放漫であり、敬意を欠いた態度でもありますから、そこを反省し反転させた「反-反写真」を試みているわけです。
言ってみれば、まずは素人目線で写真を「分かろう」としているわけでして、それは現代アートの玄人から見れば歯がゆいのかも知れませんが、一定の賛同は得られるのではと思っているのです。
>ブログを読ましてもらったけど、福居さんから助言された事と似た様な事を 「反写真」という定義行為でもやってしまっている印象が有る。
>(因に、僕は福居さんの作品は以前から拝見していて好意を持っている。)
ぼくの「文脈」に間違いのあったことが認められれば、それを修正するしかありません。
勉強することとは自分の「間違い」を探ることでもあり、それを間違いを指摘してくれる友人はありがたい存在です。
>最後に、僕は現代アートに詳しくはない。
>けれど、現代アートは好きだ。
>そんな僕から見て、あなたの 今回のデジカメジンでの書き込み内容も含めた行為は 現代アートを つまらなく誤解させてしまう(読者の人達に)様に感じたので、ここまで書かせて貰った。
そう言われると、ぼくは現代アートはあまり好きじゃないと言えるかもしれません。
好きじゃないもの、分からないものを、いかに理解して好きになるか・・・それを模索し過程を公開してゆくことが、自分の今の使命なのかも知れません。
>もしも、「必死」だというなら、その世界(あなた事ではなく)を もっと大切に 相手に伝える意識も その中には必要なのではないだろうか。
ぼくとしてはとりあえず実名を出して語ってゆくしかないですね。
実名による発言は、例え「唐沢俊一」のものでも重いものです。
もちろんここでのぼくは本人のなりすましに過ぎませんし、匿名掲示板は別次元のルールの上に成立してるのだとは思いますが。
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>時代が進歩して写真が誰でも撮れる簡単なものになると、素人の写真と写真家の「写真」の区別が付きにくく、その意味で「写真」はアートとして難しいものになりつつあります。
そうじゃないよ。誰でも簡単に成ったら、誰でも簡単にアートが出来るんだよ。販売価格は下がるだろうけどね。
下がった価格で売買が増えれば、アートは成り立つ、参加する人間も買う人間も増えるから、写真アート全体は豊かになる。そして後世に残る確率は落ちるだろうね。
これは専門家に厳しい状況だよ、それが同時にアートとして難しい状況とは言えない。
専門家に厳しいからこそ良い作品が生まれる可能性は高まるはずだ。
ただね、今日本で一番の問題は写真の売買そのものが成りたない。
日本人の日常的な習慣として写真や絵画の売買が敷居が高いものに成ってしまっている。これが一番問題だと思う。
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またおまえかw
べつにカメオタ兼アート好きでも構わんが、どうしてこんなカメオタの巣窟で語るかね?
その時点で・・・・
おまえら笑われてるんだよとこうして教えてあげる存在が居た事を幸運に思ってくれw
余計なお世話かも知れんが、こんなインターネッツの現状に辟易してるもんでな
情報がなんぼ溢れても昔から一歩も進歩が無いどころか、素人やガキが好き勝手言うもんだからむしろ退歩してるかもしれないよ
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125.197.233.15 こそ古くさい「現代アート」の定義を使っているように感ずる。「現代アート」の定義も、文脈も無しに、難癖だけつけていても、議論にならないよ。
まぁ、匿名のこの場所には、ふさわしくない議論だから、立ち位置を明確にした上で、糸崎氏のブログか、自分の場所で、立論したら?
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>27
自分の事を自分でいう分には別に良いんじゃない?
>24に対して書いたのは、「カメオタ」って言葉を相手を否定的に遣う事に関してだよ。
>28
>時代が進歩して写真が誰でも撮れる簡単なものになると、素人の写真と写真家の「写真」の区別が付きにくく、その意味で「写真」はアートとして難しいものになりつつあります。
1990年代だったっけ。
その思想が日本でも定着して来たのは。
浅田彰氏なんかは、それを元に写真の芸術性に疑問を投げかけ(実際には否定的)ていたよね。
確か「オートフォーカス・全自動が当たり前になってしまった 今のカメラでは、シャッターを押せば何かは必ず写ってしまう。」という言葉から始まっていた様な記憶が。
自分も影響されましたよ。
ティルマンス等の方法論も出て来て、写真を使ったアート表現の論理化が確立(と言うより、認知)され始めたせいか、近年の浅田氏の写真に対しての意見も若干変わって来たのを感じたけど。
>一方で、写真をコラージュしたぼくの作品は「写真の定義に外れる」ということで、写真のコンペに落とされたこともあるのです。
それって、申し訳ないけど、相手にするに値しないコンペだったんじゃないかと思うんだけどね。
確かに、最近は相当変わって来た様な話も聞くけど、ベタな写真の定義に囚われている団体やら個人が存在するのは理解している。
>そう言われると、ぼくは現代アートはあまり好きじゃないと言えるかもしれません。
実際には、一部の現代アートを好きになれないんじゃないの?
こうやって対話(表面的とはいえ。)していると、(なりすまし)さん自身のアートへの真摯な姿勢は見えるんだよね。
>31の書いている通り、デジカメジンで、この話(議論と言うまでには至っていないレベルだと思う。)をするのは 弊害が多いのではないかと感じていたので、この辺で この話は止めようと思う。
>31
なら、219.110.191.95の理解している 新しい「現代アート」の定義を書いてな。
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>30
しろうとやガキを無視してるから面白く無くなってんじゃないの?
退歩、大いに結構、というか退歩すら出来てないじゃん。
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>31
>まぁ、匿名のこの場所には、ふさわしくない議論だから、立ち位置を明確にした上で、糸崎氏のブログか、自分の場所で、立論したら?
>32
>>31の書いている通り、デジカメジンで、この話(議論と言うまでには至っていないレベルだと思う。)をするのは 弊害が多いのではないかと感じていたので、この辺で この話は止めようと思う。
せっかく記事にリンクしてるコメント欄なので(管理人さんには感謝してます)ので、できるだけ有効活用を試みたのですが、それなりに有意義になったと自分では思ってます。
例えば、以下の投げかけも興味深いものです。
>31
>125.197.233.15 こそ古くさい「現代アート」の定義を使っているように感ずる。「現代アート」の定義も、文脈も無しに、難癖だけつけ ていても、議論にならないよ。
>32
>なら、219.110.191.95の理解している 新しい「現代アート」の定義を書いてな。
岡本太郎は「芸術は、爆発だ!」とか「芸術はうまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない。」などと主張してますが(その是非はともかく)、そのような定義をいくら列挙しても「現代アート」の全てを言い当てることはできず、つまり「ハッキリ定義できないのが現代アートである」と定義できるのかも知れません。
まぁこれは、斉藤環『メディアは存在しない』に書かれた「メディア」を「現代アート」に置き換えただけなのですがw
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>34
一つだけ。
君の抜粋した部分で、定義云々を書かれると、僕が>32に書いたコメントの意味が歪んでしまう。
>32へ書いたのは、あくまで 君(>34)と話している事は、フィルム 銀塩カメラでオートフォーカス・全自動が出て来た時に散々議論されていた内容 と言う事を書いた上で、現在メインの写真メディアを使った表現が古いと言うのであれば、>32が把握している最新の「現代アート」の定義を教えて欲しいと書いたまで。
失礼かもしれないが、一々 具体的なアーティスト名やら評論家の名前を書かなかったのは、面倒なのと、>34が、それくらいは把握して写真論を語る事は最低限の前提だと感じているからなのだけどね。
前記した、友人の方の名前からしても。
やはり、御本人と話しても、こんな感じで 話の主旨がズレる(噛み合ない)感が否めないなぁ。
これで、レスは完全に止めるんで、後は好き勝手に書いてね。
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