スポンサーリンク NTTドコモ、ZEISSレンズ搭載の「Xperia 1 II」を4月下旬に発売(デジカメWatch) ソニー 2020.03.18 ソニー 新製品(その他) スポンサーリンク 1/1.7型センサーを採用した3眼スマホ Xperia 10 IIも
コメント
ニコンもスマホ用のレンズを出せばいいのに
まあ そうなんだが
じゃあキャノンは、何故出さない?
となるしね。
まあライカもそうだが
ドイツブランド信者がいるからな。
私は、Androidの使い方が分からない?
音楽、本、映画 みんなiPhone Xでやってるから
データの移行が分からないし
面倒だからやらない。
ニコンはブランドじゃないからね。弱小下位メーカー。
ニッコールは昔からニコン信者にしかご利益がありません。
アイレスフレックス、ゼンザブロニカ 、マーシャルプレス、プラウベル マキナ67、大判用ニッコール。
使用者はニコン信者だけだったんですね。
そう、ブランドとして使われているのじゃなく、部品の供給元なだけ。
iPhoneやiMacにLGや東芝の製品が使われているのと一緒。
『ブランド』としてご利益を感じているのはニコン信者だけ。
するとマキナでボディ設計した小西六レンズを使わず
ニッコールを熱望したと言われるドイさんは
供給元としてNikonを選択しただけなんですね。
ただパソコンのDVDドライブに東芝が使われるように
レンズの供給元にNikon(ニッコール)を選択するっていうのは
どういった理由なんでしょうね。
デビッド・ダグラス・ダンカンを知らないんだね!! ググってみて御覧!!
デビッド・ダグラス・ダンカンという宣教師であり教祖ね。
これで白人コンプのニコ爺が洗脳されてしまった。
偶然ニコンだっただけで、使ったのがキヤノンやトプコンだったら
ニコンとトプコンは運命が逆転していたのは間違いない。
やっぱりドイツブランドとは格が違う。
> 偶然ニコンだっただけで、使ったのがキヤノンやトプコンだっ
> たらニコンとトプコンは運命が逆転していたのは間違いない。
デビッド・ダンカンはそもそもライカ使いで最初はライカボディーにニッコールつけてたし、彼の上司のカール・マイダンスはコンタックスボディにニッコールで、当時の日本工学がボディも出すようになってから、ボディもニコンに移行したわけだろ。
そういった経緯から、彼らがキヤノンを使う可能性はなかった。キヤノン自身ライカLマウント時代のセレナーブランドの交換レンズは種類が少なく、ニッコールつけるのが主流でレンジファインダー用のレンズが充実するのはレンズのブランドにキヤノンをつけるようになった1960年代からで、レンジファインダー末期でダンカンやマイダンスが米国に帰国した後で彼らが使うことなど物理的に不可能。
トプコンにしてもキヤノン以上にライカLマウントレンズの種類が少ないし、レンジファインダーは1956年にさっさとレンズ交換式から撤退している。
ダンカンやマイダンスはレンズメーカーとして日本工学を認識して使いだしているので、その当時にライカLマウントやコンタックスマウントの交換レンズをの種類が少ないキヤノンとトプコンは彼らが使おうにも使えなかった。だから、たまたまどころか物理的に不可能。
↑ニコ爺の妄想知ったか始まった。
まあニコン信者の洗脳本にはそう書いてあるんだろうw
ニッコールがプアマンズライカレンズであるのは間違いないけどね。
>レンズが充実するのはレンズのブランドに
>キヤノンをつけるようになった1960年代から
知ったかもいいとろだな。50年代初頭はニコンだって種類は十分じゃない。ちゃんと広角から望遠まである程度揃うのはキヤノンと同じ50年代後半だ。しかもそれまでのニコンのはゾナーやエルマーのデッドコピーみたいなのばっかりだ。デビッド・ダグラス・ダンカンが使ってたのもゾナーのデッドコピーニッコールSC 5.0cm F1.5と 13.5cm F4じゃないか。
キヤノンは47年からセレナー名でレンズを作っていて、51年になると、広角大口径の流れを作ったことで有名な28mmF3.5、35mmF2.8が出て、この時点でニコンを凌駕してるんだよ。セレナー名も50年代初期だけで中期にはすべてキヤノンSレンズになってる。ニコ爺はホント都合良くお話作っちゃうな。
> キヤノンは47年からセレナー名でレンズを作っていて、51年
> になると、広角大口径の流れを作ったことで有名な28mmF3.5、
> 35mmF2.8が出て、この時点でニコンを凌駕してるんだよ。
妄想垂れ流しはお前だろ。マイダンスやダンカンによるニッコールの使用は朝鮮戦争当時のことで、セレナー28mmF3.5、35mmF2.8がでた1951年10月時点では、激戦で有名な1950年9月の仁川上陸作戦や1951年5月のカンザスライン奪回戦といった報道の見せ場には間にあってないだろうが。だから、朝鮮戦争の戦時報道の要の時期にお前の言うキヤノンの製品自体が存在してないんだから、ニッコールやニコンSの代わりにマイダンスやダンカンに使われるって状況自体が時系列的に存在しない。時系列的に存在しない物で「使ったのがキヤノンやトプコン」なんてことは物理的に不可能だった。だから、実際にそういうことは起こりようがなかった。
↑お前頭悪いな(苦笑)
Canon 28mm F3.5の話は51年にはニコンよりCanonの方が広角は性能的にも勝っていたし充実していたって話だよ。デビッド・ダグラス・ダンカンが使ったとかの話じゃねえよ。60年代までレンズ揃っていなかったというのお前のウソってこと。ちゃんと読め。適当なこと言って話そらして逃げんな。ホント負けそうになると話を故意に改ざんするから困る。
デビッド・ダグラス・ダンカンがニコンを知ったのは50年。その時にはもうCanonのレンズは存在してたんだよ。その直後に朝鮮戦争始まるのだから、お前の言ってることは完全に間違いで完全論破だ。しかも使っていたのはゾナーのコピーレンズの標準と望遠。ツアイスやライカの完全パチもん安もんレンズにしては写りもまあまあって話よ。合理的なアメリカ人なら当然ライカよりパチもんだけど安いニコンを選んだだけの話。
【デビッド・ダグラス・ダンカンがニコンを知ったのは50年。その時にはもうCanonのレンズは存在してたんだよ。】
存在していたかどうかの議論も楽しく読ませていただいてますが
存在したとしたら、なぜニッコールを凌駕するCanonレンズが選択されなかったのかな?
【合理的なアメリカ人なら当然ライカよりパチもんだけど安いニコンを選んだだけの話。】
繰り返しになりますが、なぜ合理的なアメリカ人が高性能なCanonレンズを選ばず、ニッコールを選択したのかな?
(ライカ並に高価だったワケじゃないと思うけど)
まあ、こういった歴史的逸話には『偶然』ってのも影響してくるんだろうけど
(ダンカンの手近にニッコール以外の日本メーカー製のレンズが無かったとか。。ではなぜ無かったのか?というのもあるけど)
そういった『偶然』を引き寄せるのも機材としての力だと思います。
『偶然』による『結果』がある意味、『ブランド』を作ることになるし。
> ↑お前頭悪いな(苦笑)
それそっくり、お前に返すよ。
コピーライカはむしろキヤノンだろ。マウントまで同じなわけだから。大体キヤノンの方が恥も外聞もなく外観デザインまで真似しているが。
1950年発売のキヤノン IIC
http://canon-a.fantastic-camera.com/proto/canon2c.jpg
ライカIIIf戦後モデル
https://sunrise-camera.net/blog/wp-content/uploads/2017/12/8774_01-1-600×450.jpg
機能的にはライカも含めてどっこいどっこいだが、ニコンの方が外観は独自のデザインにしようとしているね。
1950年発売のニコンS
https://capa.getnavi.jp/wps/wp-content/uploads/2018/06/MG_9287gb.jpg
良く、レンジファインダーのニコンは外観コンタックスでメカはライカ的と言われるが、ファインダーと連動距離計の窓の配置が似ている(マウントが機械的には同じでフランジが異なるだけで連動系は同じだから、似てしまうだろう)だけで、巻上げノブ、巻戻しノブやレリーズボタンはかなり異なっている。
1950年発売のコンタックスIIa
https://img02.hamazo.tv/usr/koujiyacamera/DPP_13707.JPG
ダンカンの上司のマイダンスがニコンを使ったのは、自分が使ってたコンタックスとほぼ互換のマウントのレンズ(≒ニコンSマウント)だったのも理由の一つ。
ところが、コンタックスのプロンターシャッターは、ライカのコンパーのシャッターよりヤワなところがあって、低温下でグリスが固まっている時に動作させると幕が裂けるという欠点があったが、仁川上陸作戦の際の厳冬期の氷点下20度の仁川でコンタクスのシャッターが壊れたところが、ニコンSが問題なく動作したのでマイダンス氏がニコンに乗り換えた。それを見てダンカン氏もSマウントニッコールをネイティブに使えるニコンSに乗り換えたという流れだ。
1950年代のキヤノンのレンズの欠点は、レンズに使用しているバルサムに問題があって曇りやすい。それは、クラシックカメラ中心の中古カメラやのコウジヤカメラのブログで繰り返し指摘されている。中古カメラでは全国的に有名なフジヤカメラでもブログでセレナーは実用可能な中古は非常に少なく、レンズが曇ったジャンクか良い環境で殆ど使用されなかったデッドストックに近い物の極上品のどちらかしかないと言っている。いずれも、セレナーの現存品で曇りが発生してない物はレア品でコレクターズアイテムとして希少品だから高いということの理由付けに使われているくらいだ。(勿論ジャンクは数百円くらいで売られている)。一方、同時代のニッコールはライカLマウントもニコンSマウントも撮影に使えるのが結構現存してるぞ。
キヤノンのもう一つの欠点は、シャッターがコンタックスのプロンターシャッターとは別な意味でヤワなことだろ。キヤノンの銀塩一眼カメラでは、ゴム引き布幕シャッターのモデルはFDマウント最末期のAV-1やAE-1Pも生産販売台数の割に可動する現存機が少ない。それは、シャッター幕が加水分解してベタベタになって固着してしまうから。当然それ以前のレンジファインダーでも同じ。だから、クラシックカメラ専門の修理業者はキヤノン(シャッター幕が加水分解で固着しているから)、ライカ(酷使されたものが多いから)、コンタックス(ライカに比べてヤワだった)のシャッター幕の交換というのも修理メニューにあるからな。
【ゴム引き布幕シャッターのモデルはFDマウント最末期のAV-1やAE-1Pも生産販売台数の割に可動する現存機が少ない】
あわわ。。。
僕のAV-1もダメだろうか。。。
ここんとこ(20年くらい)電池も入れてない。。。
初めて買った一眼レフだから思い入れはあるけど、飾っとくしかないかなぁ。
AE-1Pは普通に好きです。
モードラ付けた外観はA-1とはまた別の意味でカッコイイ。(シルバーボディ)
Aシリーズは現役時からクシャミしていたからなぁ
みんな文章長っ!
でも面白いっす。
俺は3行以上ある文章は読まない。
近年のニコンのネームバリューは低下していますが、昭和の頃は他のメーカーとは一線を画したイメージを持っていました。
多く売れているのはペンタックスやキヤノンでもニコンは別格でした。
ニコンは、いわゆるコンパクトカメラに、なかなか参入しなかったのもその印象を強めていました。
(ペンタックスも、かなり遅い時期まで一眼レフにこだわっていましたが、その一眼レフが大衆機中心)
それはカメラ店での値引率にも現れており、2割以上引ける他社に対して、ニコンは15%以上は引かなったし、中古市場でも他社より強めの価格を維持していました。
それに、我々の世代にとっては「三木淳=ニコン」というイメージでしたし「ペンタックス=秋山庄太郎」『ヤシコン=林忠彦」「オリンパス=白川義員」とメーカーから連想される有名カメラマンが比較的固定されていました。
それを「癒着」なんていう発想もありませんでした。
このツァイスはツァイス設計というわけでなくて、ツアイスの品質基準を満たしているライセンシーに高い上納金と引き換えにツァイス銘を名乗るを許されたというだけのものだから。ツァイスは産業用か科学観測・措定用の一部の物しか自社設計してない。産業用レンズでも産業用カメラレンズはコシナツィアスにピントロック機構をつけただけのものだから、産業用でもごく一部に限られている。
なことは今や誰でも知ってるw
その「名前貸しビジネス」をニッコールでもやっていれば・・・
そんな付加価値はニッコールにはありません(泣)
デビッド・ダグラス・ダンカンを知らないんだね!! ググってみて御覧!!
ダンカンというアメリカ人がステマしたおかげでニコンが有名になったんですね。
で、今は実力で三位メーカーに甘んじてるということですね、悲しい話ですね。
1/1.7センサーを入れてどうしてあんなに薄くできるんだろう? 光路を折り曲げればできるのかな?
焦点距離が短い程軸上色収差は減少するからトータルの色収差補正が楽になる。それと、1/1.7センサーの場合の35mm判換算値は4.5倍だから、52mm相当でも実焦点距離は11.6mm。更に色収差補正が楽だから比較的単純な構成で主光学系の焦点距離を2.8mmにして、その後ろに3倍程度に合成焦点距離を引き延ばす凹メニスクスの光学系を入れて合成焦点距離の延長と像面湾曲の補正を行えば、全体で5mm程度の光学系は可能。
化学メーカーのお仕事のようで。。。
せっかく三菱系なんだから業務提携でケミカルニッコールにしたら良かったのに……
ピンが深い1/1.7センサーのコンデジをいまでも小物撮影に使っています。
「そこいらのスマホよりよっぽど写りがいいぞ!」って使ってきたけど
もうそろそろリプレイスかな。
自分の場合は同じ目的でフジのX20を使っている。
こいつの場合は、ホットシューがあって外部ストロボが使えて、且つ、レンズシャッターでシャッター全速でシンクロ可能だから、センサーサイズが大きくなったと言ってもスマホのカメラには置き換えられない。更に、マニュアル露出とWBもマニュアルで調整可能だからこれもスマホに置き換えなど考えられない追加理由。
>小物撮影に使っています。
これ垂直の線を出さなきゃいけない商品のときはどうすんの?
それともあまり気にしなくて良い商品撮り?
あ、アマチュアなので「商品」は撮りません。アオリ撮影もしたことないですよ。
「小物」とは小さなモチーフのことです。
大変失礼しました。「ニコン好き」という名前の人以外で名前付けてる人はみんな機材にとても詳しいし、撮影の知識も豊富で、昔の事情もよくご存じなので、全員年季の入ったプロの方だと思ってました。
三木潤がニコン派だったから
ではなぜ、三木氏は凌駕というほど高性能だったCanon派では無かったのか?
三木淳はニッコールクラブの3代目会長
当時、三菱系の名門の日本光学に対しキヤノンは大衆機メーカーで、格は日本光学が上だった。
レンズの溶解から最終製品まで一貫製造出来るのは日本光学と千代田光学(ミノルタ)のみで、東のニッコール、西のロッコールと呼ばれていたようだ。
三木氏がニッコールクラブ会長になったのは1974年。
四半世紀先の会長になることを予想して、性能で勝るCanonではなくNikonを選択したのかな?
ただ大衆機メーカーが格上のメーカーを凌駕する高性能レンズを作るなんてCanon凄いなあ。三木氏が選んだのはネームバリューのせいもあるのかな?
まあネームバリューってのもブランドの理由の一つだよね。
まあ三木氏はニッコールクラブの設立を提案したくらいだから
癒着とまでは言わなくても繋がりはあったんだろうね。
> 四半世紀先の会長になることを予想して、性能で勝るCanonではなくNikonを選択
25年以上もニッコールユーザーだったから会長になったんだろう。
癒着というなら、君の過度なニコン擁護の方が気になる。
関係者?
関係者じゃないけど30年以上のNikonユーザーです。
ニッコールクラブの会長の話は皆無だけど。
(ニッコールクラブ入ってないし)
その前はCanonユーザー7年。FD世代ですが。
関係者といえば姉がソニーの社員だったよ。
Nikonのホームページの歴史の項目によると
ライフ東京支社でダンカン氏を撮ったのは三木氏のカメラではなく
(ライフ社と同フロアにあったイーストウエスト写真通信社の稲村隆正を訪ねた)村井龍一氏のニッコール付きニッカみたいです。
(村井氏のレンズを三木氏のライカに着けて撮影という説もあります)
ここでもいろいろな『偶然』が重なり、日本の光学技術(コピーであれ)が世界に認められる『逸話』の一つが生まれるのは面白いですね。
三木氏もダンカン氏とNikon工場に行ってからNikonと懇意になるのか?
それ以前もNikonを使用していたのか?も少しだけ気になります。
【デビッド・ダグラス・ダンカンがニコンを知ったのは50年。その時にはもうCanonのレンズは存在してたんだよ。】
ダンカン氏は最初、Canonに行ったけど貸し出しを断られたって記事もあるそうです。
その時の担当さんが親切にしていたら。。。『逸話』は変わっていたかも知れませんね。
NTTドコモの話題って事で
最近映画をiPhoneXにダウンロード始めたら容量が足りなくなって(256GB)
iPhoneXを2年以上使って新型が欲しくなったのも有る。
iPhone 11 Pro Max(512GB)ゴールド色を予約したんやけど
ドコモショップから、まだ入荷の連絡が無い。
やっぱりコロナが関係しとるんやろか?
エセ関西弁きもい
個人的意見ですが
映画館の大画面で楽しむように作られた映画をスマホで観るのは賛同できない。
ストーリーだけ追って観た気になっているのなら気の毒に思う。
kenさん今晩は
最新の映画館で上映してる映画なら映画館で見た方が良いでしょう。
kenさんの言われるとおりだと思います。
でも
私がダウンロードしてる映画は、もう上映してないですね。
次に映画館で上映なんて、いつになるやら?
たぶん無いと思います。
そんな映画です。
例えて言うと五社英雄監督の作品とかね。
台詞を再度聞き直して確認出来る利点も有ります。
ニコン好きさん
せめてでっかいモニターやプロジェクターで4K放送(普通の放送でも可)とかDVDとかBRとかで観たら?
(それでも面白かったら映画館で観なかったことを後悔するけど)
古めの名作なら新文芸坐や早稲田松竹(コロナでお休み中)でもたまにやるよ。
って調べたら、文芸座、今週末キングギドラ祭りじゃないかっっっ!
ちなみに五社監督で言えば『十手舞』は映画館で観たことちょっと後悔しました。
夏木マリさんはカッコよかったけどね。
kenさん今晩は
ソニーの32インチの液晶テレビで
レンタルでDVDやBRで観てます。
これ以上大きいテレビは、置けない。
『十手舞』は知らないし見てないです。
レニリーフェンスタール監督
ベルリンオリンピック
「民族の祭典」「美の祭典」
ナチ党大会「意志の勝利」
Z70-200買うより55インチ買った方がいいのでは?
このくらいなら狭い我が家にも入ったよ。
それともアパート一部屋潰してシアタールーム作るとか。。。僕ら庶民にはできないことだし。
五社監督を語る上で『十手舞』を知らないとは信じられませんぜ!
オリンピック映画では『東京オリンピック』でしょう!
高校の体育館で観せられたけど、あまりの長尺な為、学校側に途中で上映を止められてブチ切れた記憶があります。
観せるんなら最後まで観せろ!と。
映画を冒涜しているな。
ならば、五社英雄監督の作品どこに行けば観れますか?
教えて下さい。
「226」「薄化粧」映画館に見に行きたい。